こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
「ゲーム=悪」この図式を持ち合わせていないわたしが見ている光景と、ゲームについておもうこと。
もくじ
学校づくりの集い
デモクラティックスクール(サドベリースクール)を卒業した人が、淡路島で学校を作ろうとしていて、その集いに先日ぶら〜っと行ってきました。
会場となった ゲストハウス花野 (← ここ、めちゃいいーーー! 宿の裏が海でボケ〜と海ながめてた♪)の玄関を開けると、そこは外よりも熱く、公教育に違和感を持たれている方や、オルタナティブ教育に関心を寄せる方たちが語り合われていました。
ゲームとギター
そのなかに、「 デモクラティックスクールまっくろくろすけ 」に見学に行かれたことのある方もいて、一人の方が、まっくろくろすけで見たゲームをずっとしている子の「ゲーム」と、ギターを弾いている子の「ギター」が、自分は同じ学びとしては観れない……という話をされて、しばしみなさんでゲームについて話されました。
自分とは異なる考えを一度にたくさん聞けるというのは、あるようで なかなかない機会。
AI-amでご相談をお受けしているなかでも、「学校には行かなくてもいいけど…… ゲームは……」とゲームの悩みは多く、モヤモヤを抱えられている親ごさんとお話しをすることはあるのですが、大勢の方たちが話すのを聞けるというのはそうはなく、とても興味深く聞かせていただきました。
「なにをしているか」ではなく、「なんでしているか」
ここからは個人的に思ったことを書いています。
授業やカリキュラム、チャイム、テスト、評価、宿題、そういったものがないデモクラティックスクール(サドベリースクール)は、子どもの自発性をたいせつにする学校なので、「ゲーム」と「ギター」が同じにみえない親ごさんにとっては、安心して通わせるのはハードルが高いとおもいます。
発見されていない個々人の学びを観じることは、おばけを信じることよりも難儀かもしれません。
「なにをしているか」ではなく、「なんでしているか」。
ゲームをずっとしている子の「ゲーム」と、ギターを弾いている子の「ギター」に共通していることは、したいことをしている、ということです。
自分のしたいことを知っていて、自分で決めた活動を、自分がする。
親の干渉は 自立を後退させ、依存を強めてしまいます。
なんでゲームをするのか
親は「ゲーム=悪」という図式を手放せないでいるのかもしれないけれど、目線をかえれば、ゲームは将棋に似ているなあっておもうんですね(囲碁とかチェスとかも)。
時代がちがうだけで、ともに世の中にありふれている娯楽の一つじゃないですか。
↓↓の写真に映るおっちゃんたちも、子どものころテレビゲームがあればしてたんじゃないのかな?
以前、産経新聞に載ってたニュースで、↓
飲食店や遊技場が立ち並び、国内外の観光客でにぎわう大阪市浪速区の繁華街・新世界にある「ジャンジャン横丁」で、唯一の将棋クラブ「三桂クラブ」が営業を続けている。
新世界で将棋文化の盛衰を約70年間見守ってきた老舗だ。「客層は日雇い労働者から会社の社長までさまざまだが、勝負の場なら対等になれる」。祖父の代からの店を受け継ぐ「席主」の伊達利雄さん(51)は将棋の魅力を語る。
出典:産経WEST
というのがあったのだけど、将棋とおなじく、ゲームもまた、地位や年齢差など関係なく共有や共感ができるコミュニケーションツールのひとつ だとおもいます。
他の人がやっているのをみながら学習する というプロセスや、鑑賞する文化 も共通してますよね。
そういった 観察力 のほかにも 集中力 や 分析力、熟考、判断、記憶、決断、行動 など あらゆる能力の発達を、好奇心を出発にして自力で行っています。
なんで将棋をするのか? なんでゲームをするのか?
おもしろいから!
好きだから!
情報の格差
人は自分にとって必要なことは学んでいます。必要なことを学んでいます。
自分にとって必要な学びを何から学ぶのか。その違いだけです。
どんなことがおもしろくて、いのちを紡ぐのか、その違いだけです。
ゲームばかりしていたら◯◯になるからやったらダメ!! と言う親は、情報の格差をなくして、子どもとフラットの状態にしてから、反対するならしたらいい。ダメならダメと言い切ればいい。
親は、なにも知らないで、ただやみくもにダメダメ話を持ち出すけれど、子どもはYouTubeなどからいろんなパターンがあることや、たくさんの成功例、可能性があることをすでに知っています。
唯一社会に出ている一家の主が、情報を持ち帰って妻や子どもに教える時代ではないですもんね。
情報化社会の今、子ども自身が興味のあることは、子どものほうが情報を仕入れてくるのは早いから、親はググる癖をつけて時代に追いついていないと、子どもに意見なんて到底言えない。つねに更新していないと子どもをつつける材料は揃いません。
「勉強しなさい!」と言うのなら・・・
東大理Ⅲの医学部に息子さん3人が合格、4人目の娘さんも東大理Ⅲに合格された母親・佐藤亮子さんの書籍『 図解「灘→東大理III」の3兄弟を育てた母の秀才の育て方 』に、「佐藤家のNGワード」が5コ載ってるんですね。
そのひとつに「勉強しなさい!」があって、「勉強しなさい!」ではなく「10時から11時までP30〜P35をしなさい」と具体的に言う、というのがあります。
わたし、これ、すごいなっておもったんです。
P30〜P35になにが載っていて、それは1時間でできることを佐藤亮子さんは知っている。
子どもに(他者に)「〜しなさい」と言うのはわたしは嫌いだけれど、「勉強しなさい」なんて言うんであれば、そういうことだよね、っておもった。
ゲームが好きでしている子どもへの対策
たとえば、ゲームが好きでしている子どもに、「ゲームは目に悪いからやめなさい!」って言うんであれば、ゲームをしたことによって視力が落ちた子どもの情報を、眼科医や論文などから集めて、リストにでもしてから子どもに言えばいい。
「ほら見て! ゲームは目に悪いみたいよ」ってね。
子どもは言うんじゃないかな? 「ふ〜〜〜ん」って。「でもママ見て! この人やあの人は目は悪くなってないよ」ってね。
これ、勉強だったら言わないんですよね。「勉強は目に悪いからやめなさい!」とは。
ちなみにわが家の息子もゲームをしまくってましたが、彼の 視力はいまも2.0 です。
「ゲームは目に悪いって聞くから……」と、ゲームが好きでしている 子どものためをおもうのであれば、目に負担のかからない質のいい照明器具をつければいい。背筋が悪くならない椅子にすればいい。学習机を念入りに選んだときのようにね。
子どもが 没頭している のなら、より楽しめるためにはどうしたらいいか? その環境を整えてあげればいい。
親にできることなんてそれぐらいでしょ?
それは ゲームも勉強も同じ です。
でもそうは言っても依存症にならないの? って声が聞こえてきそうですが、ゲーム依存症の子どもは、ゲーム心配症の親のもとで育ちます。
このことは次回書きたいなっておもっています。 書きました⇒ ゲーム依存症の子どもはゲーム心配症の親のもとで育つ