親が子どもの手をつなぐことは、ときどき手綱の役割をするのだと思う。

am3こんにちは。

AI-am(アイアム)
星山 海琳 です。

 

手をつなぐことは、ときどき手綱の役割をするのだと思う。

望んだほうへ導くこともあれば、安全のために引き寄せることもあるだろう。

 

この記事は、星山海琳の facebook からの転載です。

手のつなぎかた

この写真は、幼稚園での運動会のときのもの。

あす・あさって開催の勉強会( https://ai-am.net/ev200912-13 🧀 参加受付は今夜23:59まで🧀)のジャケットをつくるとき、昔のアルバムを見返していて目についた。

 

ほかの親子とおなじように、わたしとよっぴーが写っているけど、なんとなく違和感がある。

 

それは手のつなぎかたで、

このとき写っている親子は、親が腕を曲げて子どもの腕をひっぱっているのに対して、よっぴーは手をまっすぐ下ろしているのが、この写真のなかでは浮いて見える。

 

もちろん、誰もがいつでも同じ手のつなぎかたをするわけはないし、この写真は本当にたまたまでしかないんだけれど、偶然は確かな一瞬でもある。

守ることのむずかしさ

子どもを自分のほうへ引き寄せている親たちは、「わたし」という「この子」よりも大きく力のある存在のもとで、子どもを守ろうとする。

子どもがふらふらと歩いたり、向こう見ずに走り出していく危なっかしさから、あるいは子どもを突き飛ばしてしまう勢いでやってくる災いから。

 

守ることはむずかしい。

守るための壁は、無自覚であればあるほど、相手を閉じこめてしまう。

干渉しないと聞いて「どれくらい」、自由と聞いて「どこまで」、とたずねられることが多い。

 

親である「わたし」も「この子」も、ゆく先には不安と危険がいっぱいで、ありとあらゆる鎧が必要なんだろうか。

そういう考えを疑ってもみないほど、保護者としての役割と親としての役割は混ぜこぜになって、子どもは(何歳であっても)、親の安全地帯に引き止められているんだろうか。

すべては安全地帯

それにしてもよっぴーは昔から、ちょっとは先のことも考えたらどうかというような空気に満ちていて、こんなひとの毎日はそりゃ楽しいだろーなと思う。

その傍らで、一人と一人として、この時間を共有しているわたしも。

 

 

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