こんにちは、
AI-am(アイアム)のよっぴーまりんです。
「そんなことをしていたら(許していたら)、不登校になってしまいますよ」「不登校が長引きますよ」の発想には、みんなと “同じ” ができない(できなくなる)ことへの恐れがあり、
「不登校では大人になれない」「不登校は恥じること」といった思考になっていくんだろうけど、
また、学校から教育センター等を勧められたりもすることで、「不登校は問題」という思考回路が先回りもするんだろうけど、
一条校(学校教育法第一条で定められた学校。みんなが知っている一般的な学校)は学校のひとつで、一条校に行かなくてもその「先」は当然ある、ということを、こどもも親も、どれだけの人が知っているんでしょうか。
それを知っていたら、その子の健やかさは、どれほど保たれるでしょうか。
「大人」になるまでの道は、たくさんあります。
もくじ
教育センターに行く?行かない?
先日の オンラインコミュニティ「お母さんのじかん365」のおしゃべり会でのこと。
「お母さんのじかん」に新しく飛び込んできてくださったひとりのお母さんがさっそく、
「学校から『教育センターに一度行ってみたら』と言われていて、近々行くことになったんだけれど、あんまり行きたいと思わなくて……。実際どうなんでしょうか? 経験のある方、いらっしゃいますか?」
と質問をくださいました。
教育センターに通われた経験のあるお母さんがたの、「わたしのときはこうだったよ」「今はこんなふうに考えてるよ」「こんなことを思うよ」というお話で盛り上がったおしゃべり会。
(不登校をはじめた時期がそれぞれ違うから、不登校をはじめてすぐ・しばらく経ったころ・もうすっかり馴染んだころ…いろんな時期のお話が聞けるのもコミュニティのいいところだなあ、と思います)
ちなみに、よっぴーまりんとしては、「どんなところなのか行ってみようって思うなら行ってみればいい、なんか行きたくないなあと思うなら(ひとまず ”行く” じゃなく)ひとまず ”行かない” がいい」という考えです。
(よっぴーは、息子(まりんの兄)が学校に行かなくなったとき、校長先生から勧められたけれど行きませんでした。どうしてか? 学校に行かないことを「不登校問題」と考えられているところだから)
いろんなタイプの学校があることを、一条校に入学する前に知っていたら
そんなこんなでおしゃべりしているなかで、よっぴーが言ったのが、
「小学校一年生のときの社会見学で、一条校以外の学校(フリースクール、オルタナティブスクール、ホームスクーリング・エデュケーションなどなど)を見学させてくれたらいいのになあ!
“学校” には、こんなふうにいろんなタイプがあるってこと、
建物だって、みんなが知っているあの校舎以外にもいろいろあって、おうちみたいな校舎もある、
どれもが “学校” で、どれも選べるんだよ、ってことを一年生のこどもたちに見せていってあげられたらいいのに」
「教育センターの担当の方も、
『学校にはフリースクール、オルタナティブスクール、ホームスクーリング、いろいろあるけれど、わたしは一条校がいいと思っているからこの仕事をしています』
と言ってくれたら、話しやすいのになあ」
ということ。
本来は、一条校(学校教育法第一条で定められた学校。みんなが知っている一般的な学校)に入学する前に、そんな機会があればいいですよね。
こどもはもちろん親にも、こうした情報が行き届いていれば、
いま学校に行きたくない・行けない・行かないこどもとその親が持っている苦しさ・しんどさのいくらかは、そもそも持たずにすむ はずだと思います。
変わらず一条校に通うこども(とその親)であっても、この知識や情報は、決して無駄ではありません。
「学校を休む」「学校に行かない」ができない子どもたちの苦しみは健やかさをおびやかしている
冬休みが明けて、LINE@ にも連日のように
「学校に行きたくない、だけど学校は行かなきゃいけないんですよね」
「学校行きたくないけど親が休ませてくれません」
「親は、学校は行くものだ、行かないと将来がないと言う」
などなどのメッセージをたくさんいただいています。
軽快に、自然に、不登校をしているこどもたちがいて、
学校がそれほど楽しいわけではないけれど、行くことを選んで不登校をしていないこどもたちもいて、
けれど 不登校をしたくてもできなくて苦しんでいるこどもたち が、ほんとうに、ほんとうに多いです。
「もう、無理…」
「親を悲しませている自分なんて生きてる資格がない…」
「このまま夜が明けない方法って…」
一条校は学校のひとつで、一条校に行かなくてもその「先」は当然ある、ということを、こどもも親も、どれだけの人が知っているんでしょうか。
それを知っていたら、その子の健やかさはどれほど保たれるんだろう。
一条校は学校のひとつで、一条校に行かなくてもその「先」は当然ある
多くの親は、多くのこどもたち同様に、一条校は学校のひとつで、一条校に行かなくてもその「先」は当然ある ことを知らされてきていません。
自ら知る機会・興味を持てるような余裕のある機会も、あまりないのが一般的です。
だから、こどもが学校に行きたくないと言っても、学校に行かないと将来がないと思うのは当たり前 だし、「大人」になれない… なにがなんでも行かせなければ、と思うのもごく自然 なことです。
そうやって、こどもを想うことで、時にはこどもを追いつめるような言葉がけもしてしまう。
けれどその親が、一条校は学校のひとつにすぎないと知っていたら。
小学校・中学校に一日たりとも通わなくても、高校へ行けることや、
小中高に行かなくたって、自分が希望する大学に行けること(合格・不合格はともかく)、
小中高大に行かなくたって、起業・就職ができること(学歴主義でガチガチの保守的な、もーーのすごい大手企業ならいざしらず)、
不登校はイケナイものじゃないことや、
恥じるものじゃないこと、
こども本人・親のせいじゃないこと、
そんなことを知っていたら。。。
そしたら、どんなに 不安に駆られることなく、こどもの未来に水を差さずにすむ んだろう、と思う。
こどもに掛ける言葉ひとつ、
「そんなことでどうするの」ではなく、「360度ルートがあるんだよ」と心から伝えてあげられたら、雲泥どころでないほどの違いがあると思うんです。
「不登校」から「大人」になるまでの道はたくさんある
こどもが学校に行っていないことで苦しんでいない親は、このことを知っています。
だから、苦しくないんですよね。
多くのこどもが当然のように一条校に通う現状だからこそ、「大人」になるまでの道は、たくさん、たくさんある ということを、一条校は教えていってあげてほしいな、と思います。
誰もがこどものためを想っているなら、こどもの将来ではなく未来、つまりは「今」を、あらゆる角度で方法で、大切にしていきたいです。
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