不登校への価値観が夫婦で違う、意見が合わない時どうすればいいか? 相互理解への鍵は「会話」

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

子どもが不登校をしていることで、夫は「学校に戻すべき」と言います。

辛いことや理不尽なことがあっても、そこを耐えて頑張らせないと、将来困るのは子ども本人だ。子どものためを考えるからこそ、今ここで甘やかすと成功できなくなる

 

(私も以前は夫と同じ考えでしたが、よっぴーさん・まりんさんのブログや本、いろんな人の価値観と出会い、考え方が変わり…(略))、私はもう子どもに、別に将来成功してほしいとは思っていないし、無理に行かせようとも思いません

 

このように、不登校への価値観が夫婦で違うとき、意見が合わない夫とどうすればいいと思いますか?

子どもを学校に行かせるべきだ」/「無理に行かせなくてもいいと思う」と意見がわかれ、言い争いになってしまいます

 

といったご質問をいただきました。

自分の感性や直感にウソをつかなくていい環境を、親は整える

これ、結論を先に言えば、

そもそも学校に行く・行かないは、こども本人のこと(こども本人の考え)なのだから、

親が、どーのこーのと口をはさめることではないですよね、というのがわたしの思うところです。

 

「こどもを学校に行かせるべきだ」という価値観をもつ父親(夫)と、

「無理に行かせなくてもいいと思う」という価値観をもつ母親(妻)と、

そのふたりに見守られながら、こども本人は、自分の感性や直感にウソをつかなくていい環境 を整えてあげたいです。

 

異なる価値観が身近にあると、感性を動かせる じゃないですか(言い争っているのではなく、互いが尊敬しあっている場合)

自分の価値観でしか物ごとを測れていない・測れていなかったことを知り、自分の心の動きを見る ことで、感性の幅がひろがるというか…。

 

子どもの学びを遮らないとはどういうことか? 子どもの努力を忘れた大人にならないために』の記事で書いたことだけど、

こども自身が負うことのできる領域に、他者である親が踏みこんでしまうと、「考える」の持つ手をゆるめて、論理的思考から遠ざけてしまうんですよね。

「成功」を定義する

夫の価値観と、妻の価値観。どちらかが、どちらかに従うのではなく、言い争うのでもなく

こども本人が、自分の感性や直感にウソをつかなくていい環境を整えていく。

そのためにしていくこととして、 夫さんと「成功」についておしゃべり(談話)してみる ところから始めてはどうかなぁって思いました。

夫と価値観が違う、、、。どの部分で価値観が違うのかっていうと、「成功」について だと思うのですね。

 

あらたまって話し合うような、お堅い “話し合う” じゃなく、ざっくばらんなおしゃべりのなかで、

たとえば、オムライスの卵がうまく巻けたときの成功や、目的地までまちがわずに行けた成功、それらの成功をよろこぶ自分を好きでいる成功など、、、日常に転がっている「成功」をしたときなんかに、

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/06/903192-e1559446599854.jpg” name=”あなた” type=”l”]やったーーー、成功したー! でもさあ、「成功」ってなんなんだろう? あなたは「成功」ってなんだとおもう〜?[/voice]

 

とかなんとか、

いたって、どーでもいいような空気のなかで、たあいもないおしゃべりをしていく。

 

どうすれば成功できるのか? の前に、

こどもさんが学校に行かなくなったことで、パートナーの考える「成功」に違和感を覚えるようになったいま、じゃあ、自分(あなた)にとって「成功」とは何か

おしゃべりをしていくことで、自分が考える「成功」の定義を探求していく/見つけていく。そのことが大事なんじゃないかなぁと思います。

夫/妻が話す言葉の意味を、理解しあえているか否かが鍵

わが子の「不登校」にあたって、夫/妻の価値観が異なるとき、どうすればいいのか? のご相談やご質問は、とても多いです。

人それぞれ育ってきた環境はいろいろ、ふたり(夫婦)の関係性もいろいろで、

日ごろ、どのようなおしゃべり(談話や会話)や、議論・討議(大層な議題じゃなくっても、ちょっとしたやつとかね)を、どれぐらい、どのようにされているのかでも、このご質問への答えは変わります。

 

「成功」からイメージするものなんて人それぞれ。そんなふうに、言葉って非常に漠然としている じゃないですか。

言葉の意味を、ふたりの間でまったく同じに捉えたり、伝わったりするなんて、奇跡なんですよね。

おしゃべり(談話・会話)の重要性

たとえば、付き合っているときに見た・知った、

相手のそんな態度やマナー、言い方は嫌だな、
そういった考え方は自分とは異なるな、

といった場面で、どれぐらいそのことについて相手としゃべりあったか。

 

政治やニュース、いっしょに観た映画などについて、どれぐらい語り合ったか。

結婚するときに、結婚式場をどう決めていったか。引き出物は? 新婚旅行先は? ふたりが住むおうちは?

 

で、結婚したらば、金銭感覚の違いや、夫婦の営みの満足度、互いの親や親族とのつきあい方などのほかにも、

毎日の暮らしのなか、ふたりの異なる考え方や動作、嗜好が、細かにたんまりと、露わになってくるわけじゃないですか。

 

夫は、トイレで使用するタオルは、他の洗濯物と一緒にまわす/妻は、トイレで使用するタオルは、他の洗濯物とは別にする

お風呂のボディタオルは、夫婦(家族全員)同じのを使う/ひとり一枚ずつ、ちがうのを使う

調味料やお米、食材は、価格の安さを重視して選ぶ/安全性やおいしさ、会社を重視して選ぶ

バターナイフは、バターケースに入れっぱなしにしておく/しておかない

部屋着と外出着がいっしょ/部屋着とパジャマがいっしょ(コンビニぐらいならその服で行ったりもする)

etc、etc、、、

 

こどもが生まれたら、相違はさらに多くなりますよね。

 

言葉の意味を、ふたりの間でまったく同じに捉えたり、伝わったりするなんて奇跡だからこそ、そのたびに、きちんと伝え合って、奇跡を作ってきたか どうか。

たくさん、たくさんのおしゃべりを重ねることで、互いの言葉の意味(世界観、人生観)を理解しあえてきていたか、どうか。そこが相互理解への鍵でしょう。

日々のおしゃべりをすっ飛ばして(会話のない関係で)、「こどもを学校に行かせるべきだ」/「無理に行かせなくてもいいと思う」の話し合いは、あまりにも困難です。

 

 

まりんさんが書いている『家族と朝まで、はなしをしよう。』の記事にこうあります。↓↓

子どものことがわからないから、不安になる。
安心したいために直球な答えを聞き出そうとする親に、子どもが心からなにかを話すことはない。

でも、相手の日々や、考えていること、感じたこと、知ったこと、なにが好きでなにが嫌いか、そんなものの切れ端を知ることができたら、そのひとを理解するにはじゅうぶんです。

曲がり角や坂のある道を歩いている子どもを、「動く歩道」に乗せる必要はない。

 

時勢が落ち着いたら、またやりたいな。↓↓↓
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奇跡を作るおしゃべり(会話)は崇高な学び!

「こどもを学校に行かせるべきだ」/「無理に行かせなくてもいいと思う」の結論については、 こども本人と親がつくりだしていくもの だから、わたしたちがずかずかと割り込んで言えることはありません。

ただ、その結論を、言い争いのもとでいきなり出そうとしないで、

お互いの考えや言葉の背景・土台を知り、理解しあっていけたらいいなと思う。

父と母が、自分自身がもつ言葉の意味を知り、相手が意味することを理解していくために、言葉を重ね合い、互いの考えのなかに分け入っていく。

何よりも崇高なその学びのなかで、こどもが呼吸しているのは、いいなと思う。

 

そうして、こども本人の人生を親がうばってしまわないように、こどもが自分の感性や直感にウソをつかなくていい環境を整えていきたいですね。

 

サドベリーバレースクールの創設者、ダニエル・グリーンバーグさんは言います。

「会話」ほど、人生の成功につながる、素敵な進化の贈り物はありません。と。

 

肝心なのは、たくさんのたあいもないおしゃべり。

おしゃべりして、奇跡を作っていこう⭐︎

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