AI-am(アイアム)の
星山まりん です。
「やさしいひと」「やさしくないひと」って、どういうひとだろう?
それは、誰が、どんなふうに決めるんでしょう。
「やさしさ」は測れない
「やさしいひと」、というのがいる。
同時に、「やさしくないひと」もいる。
やさしさは、きっかり測れるものじゃありません。何グラムだ、何センチだと、定規をあててみることはできない。
誰かの主観ひとつで、誰かのやさしさは決まります。
どうすれば「やさしいひと」になれるか
「やさしくしてあげる」ことは、けっこう簡単です。少なくとも理屈では。
だって、相手の望むことをやってあげたらいいわけです。
欲しいものをあげたらいいし、言ってほしい言葉を言ってあげたらいい。
やさしくしてほしいんだと思っているひとの求めるものを汲み取るのは、それほどむずかしくありません。
しかも、そうすると相手はだいたい好いてくれます。やさしいひとだ、と思ってくれる。時にはステータスにもなるでしょう。
ところが、やさしくないひとは、好かれないことが多い。
「やさしいひと」はどこにいる?
「やさしいひと」は、自分にとって快い言動をするひとです。「やさしくないひと」は、自分にとって快くない言動をするひと。
だから、なかなか好意はもたれない。
けっきょく、「やさしいひと」だと考えるのは、それを受け取る、そう考えているひと自身を表しています。
実際の「やさしいひと」「やさしくないひと」なんていうのは、受け取る自分のなか以外のどこを探したって見つけられないのです。自分がどう思うか、どう感じるかというだけで、やさしいひとの存在は、生まれたり消えたりする。
でもそれがほんとにやさしいってことではないよなあ、と思う。
これが私の優しさです
(谷川俊太郎)窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときにあなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで
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