「フリースクールへ誘っても行きたくないという子にはどう対応したらいいでしょうか?」

こんにちは、
AI-am(アイアム)のよっぴー、まりんです。

「フリースクールなど、外に出られる子は人との関わりなど刺激があっていいなあと思うのですが、フリースクールへ誘っても行きたくないという子にはどう対応したらいいでしょうか?」というご質問にお答えしています。

晴れの日は晴れを、雨の日は雨を楽しむ

ご質問
フリースクールなど、外に出られる子は人との関わりなど刺激があっていいなあと思うのですが、フリースクールへ誘っても行きたくないという子にはどう対応したらいいでしょうか?

(動画より)
よっぴー:

ありがとうございます。

どう対応したらいいか、その発想っていうのかな、回路っていうのかな? どう対応したらいいか、っていう(言葉)が出てくる、っていうのは、前にいる人っていうか。

(どう対応したらいいか、という発想は)どうお料理したらいいか(みたいな感じがする)っていうか。

「なにが出てくるのかな〜楽しみ楽しみ〜」って感じで、出てきたものを、ああおいしいなあとか、おいしくないなあっていうときももちろんあるけれども、ああおいしいなあって言って食べるのが、わたしはそれが親の役割(だと思う)っていうか、そういう親でありたいなあって思うのね。

そしてそういう親だったら、こどもはもう全然、いい意味で自分は自分としてお料理を楽しんでいく、つまりは人生を楽しんでいく。そして嵐の日もあれば晴れの日もあるし春があれば冬もある、そんなのみんな一緒じゃないですか。

なんか悲しいことがあったら落ち込むし、嬉しいことがあったら喜ぶしって感じで。人生っていうのはほんとにいろんなことがあってのドラマだと思うから、それを「対応」っていう発想になっちゃうっていうのは、やっぱり「させたい」「こうあるべき」っていうのがあるように思うのね。

それがこどもにとってはものすごいプレッシャーっていうか、親の期待みたいなものが、やっぱりわかるのよ。

ほんとは大好きな親だからそれに添いたいんだけれども今はまだエネルギーがなかったり、(自分の思いは)そういうところじゃなかったりするのに、そんなふうに来られちゃうとウウウ〜ってなっちゃう。

だから親のほうがその回路みたいなものをフイッて変えちゃうような、そういうふうにしたら、こどもはこどもで何かやってると思うの。

それは寝てるっていうことかもしれないし、いろんなのがあるけれども、それをただただこどもが「自分」っていうところでやっていくと思うから、親のほうがどう対応したらいいかっていうんではなくて、どんなお料理も楽しむ、どんなお天気の日も楽しむ、くらいの(感じがいい)。

晴れの日は晴れのように楽しめるものがあるし、雨の日は雨を楽しめるものってあるじゃないですか。

そんなふうに親がなっていっていたら、こどももすごーく気楽に歩んでいけるんじゃないかなって、そんなふうに質問を聞いて思いました。

階段の踊り場で座り込んでしゃべろう

学校は行くところ、、学校には行くべき、、そんなふうに思い込んでいた親のもと、こどもが学校に行かなくなり、、やがて「学校がそこまでイヤならムリしてまで行かなくてもいいよ」と思えるようになったあとの話です。

学校には行かなくてもいいけれど、(だったら学校以外の)どこか別の集団に所属していてほしいと思う、、親はそんな心境にかられることがあると思うんですね。

どこか別の集団、、、その代表は教育支援センター(適応指導教室)や、フリースクール・フリースペースオルタナティブスクールといった学校でしょう。

けれども一条校(学校教育法第一条で定められた学校。みんなが知っている一般的な学校)以外の学校を、親がこどもにススメるときの注意点として、以下の2点があると思っています。

  • こんな学校があるよ〜といった情報を、こどもに2度は言わない
  • こんな学校があるよ〜と親に言われたこどもが「ふーん」「興味ない」など、YesだけではなくNoも言える関係であること

(ご質問には、フリースクールへ誘ってもこどもさんは行きたくないと言われていて、そうやってNoが言える関係が「ああ、よいなぁ」って気持ちでいます。)



昨年のこと。中学2年生のひととおしゃべりしていて、そのひとが言っていました。

「親がフリースクールを推してくる。それがつらいんです。自分は学校さえ行けないのに、、おとなになる階段があって、みんな踏み外さないで登っていくのに自分は踊り場にしゃがみ込んだまま登ることができないでいる。それなのに親はフリースクールへ行けと言う。学校にも行けないのに…。家にも居づらくて、でもフリースクールも行けない……」



こちらは30年前のこと。
「特異な子どもの特異な行動」とされていた登校拒否(不登校)が、個人の問題ではなく「どの子にも起こりうる」という見解になった1992年の「学校不適応対策調査研究協力者会議」の報告。

文部省初等中等教育局によって作られた、この「学校不適応対策調査研究協力者会議」による最終報告で、はじめて文部省は、学校外の民間施設を「登校拒否」の子どもが通う場所として考慮されてよい(←「されてよい」ってなんちゅう言い方や💢)、としました。

さらに、1992年9月には、学校外の居場所など民間施設での通いの日数を学校での「出席扱い」とする方針を明らかにしました。

これらの変わりようにより、不登校(登校拒否)をしている子にたいする風当たりが少し和らぐ条件がひとつ増えた、、、はず。が、

朝倉景樹さんは(元:東京シューレ/シューレ大学スタッフ、現:雫穿大学代表)『登校拒否のエスノグラフィー』(1995年)でこう書かれています。

文部省が学校外の居場所等「民間施設」に対する扱いを変化させたことによって、かえって〈登校拒否〉をしている子どもが家にいづらくなてしまった。これまで「無理に学校に行かせないほうがいい」という〈登校拒否〉をしている子への接し方が知られてきたことで家庭にいやすくなっていた〈登校拒否〉をしている子たちは、「学校に行かないのなら、民間施設に行きなさい」という新たな圧力を受けるようになったのだ。その結果、〈登校拒否〉に対する考えが自分の中で整理がつかずに不安定な状態のままで親に押し出されるようなかたちで東京シューレにくる子どもが増えたのである。東京シューレでは子どもの意思を尊重する努力をしているが、このように親に押し出される感じで東京シューレに来た子たちに、「学校に行かないことは悪いことではない」というように整理がつき切っていない子が増えてきた。

朝倉景樹『登校拒否のエスノグラフィー』 p.181-182



30年前も今もいっしょだなんて、、こんな不変はかなしいね。

不登校への偏見と思い込み(アンコンシャス・バイアス)は、それほどに根強いけれど、だからこそ、不登校へのアンコンシャス・バイアス(偏見と思い込み)を取り払っていこ。
>>> https://ai-am.net/unconscious-bias



親は将来を見て階段の上からこどもの手をひっぱりがちだけれど、階段の踊り場、肩を並べて座り込んでしゃべるのもいいもんです。

学校が合うひともいれば、フリースクールが合うひともいる。家が好きなひともいる。
それに、学校が合うっていったって合わないときだってあるしね。家が好きでも出かけるときもあるしね。
その時々、その子が合う場所でいい。それがいい。

出来不出来ではないんです。こどもに触れ、感応する。
こどもが「好き」や「嫌い」、「イヤ」や「イイ」の本当を、自分に噓つくことなく言える関係、それがいい。

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