こんにちは、
AI-am(アイアム)の
吉田 晃子です。
勉強はさせるものではなく、するもの、落ちるもの。それゆえ、どんなに「勉強しなさい」なんて言われたって、できません。
ほら、恋って、するものではなく、落ちるものじゃないですか! いくらね「恋をしなさい」とガミガミ言われてもできない。いっしょです(笑)。
もしあなたが、子どもに恋をしてもらいたい、と思ったらどうしますか?
今日は、自分から勉強する子どもになるにはどんな暮らしをすればいいのか、そんなお話しをしたいと思います。
大迷惑な話
子どもに恋をしてもらいたい、と思ったら……。
わたしだったら、まずは「恋をしなさい」と命令形での強制は、ぜーーーったいにしません。
「恋でもしてみたら?」とソフトな言い草でも、しません。強要に変わりはないですから。
※ 強制 とは、相手が快諾しない物事を有無を言わせずに押し付けること。また 、その物事を行うように命令すること。
※ 強要 とは、無理に要求すること。無理やりさせようとすること。
「恋をしなさい」だったり、「恋でもしてみたら?」だったり、、、そんなセリフを一日に何回も言われるんですよ? 顔をあわせれば言われるんですよ? 恋してなきゃ怒られるんですよ?
こんな迷惑な話はありません!
人間失格者のつくられかた
毎日毎日、一日中「恋をしなさい」と言われつづけるのは、ようするに 強迫 じゃないですか。
強迫されつづけたら、その暴力(この場合だったら「恋しなさい」と言われつづけること)から自分自身を護るためにすることは、
- 「恋してる」と嘘をつく
- 「うるさい!」と反発する
のどちらかです。
でもって、そのどちらにしたって、
「恋をしていない自分」では親に愛されないんだ… という事実が体中に染み渡り、
「恋をしていない自分」はダメな人間(人間失格)なんだ…と思い込まされて、
「恋をしていない」ということが、底なしに怖くなります。
そして、「恋」が嫌いになる 。
(ほんとなら、そんなことを言う母を嫌いになるはずなのに(これ、他人にされたら、その人を嫌いになると思う!)、母を嫌いになるのではなく、恋が嫌いになる。それが親と子の因果なんかなあ。)
自分が恋をする
子どもに恋をしてもらいたい、と思ったら……。
わたしだったら、わたしは恋がこんなに好きなんだ、、こんなにもハッピーな気持ちにさせてもらえるんだ〜、なんてことを 言葉だけじゃなく全身全霊で発振する だろうなと思います。
恋っていいんですよ、ハッピーな気持ちになるものなんですよ、なんてふうに教えるのではなく、
「ねぇねぇ聞いて! 聞いて! あのね、今日ね、めっちゃカッコいい人とぶつかってね…… でね、こうでね、ああでね、恋に落ちちゃったみたい」なんて言いながら踊りだす。
好きなミュージシャンや俳優さんだっていい。コンサートや舞台を観に行くときに、どれを着ようか、あれこれ悩んだり、握手してもらって、胸をはずませたり。
夕暮れに恋したり、花や衣服に恋したり、本や映画に恋したり、行為や動作に恋したり。
朝から、映画「ノッティングヒルの恋人」を観ていたり(よっぴーの実話。この映画を観て、ほんとにノッティングヒルまで行った笑)。
「母」を嫌いになって、「恋」を嫌いにならなかったわたしの場合
勉強もおなじです。
勉強も、恋も、させられるものではありません。ここまでの文章の「恋」を「勉強」に置き換えて読んでみてください。
もし子どもに勉強をしてもらいたいと思うんだったら、「勉強しなさい」とはぜーーーったいに言わないで、ただ、家のなかにあたりまえのように勉強がある家庭環境をつくります。
「勉強する」ということ
子どもが勉強するか、しないかは、子ども自身のことだから、「勉強しなさい」と言ったことが、わたしはありません(「勉強しなさい」のほか、「早く寝なさい」などもなくて、また、子ども自身のことでなくても、そもそも命令形でものを言ったことがない)。
勉強(学校の科目勉強)をしてもらいたいと思ったこともなかったのですが、結果としては、17歳のとき、海琳さんは学校の科目勉強に取り組みました。
なぜ、勉強をしてもらいたいと思ったことがなかったのか?
このこたえはいたって簡単! あのね、朝起きて、夜眠りにおちるその瞬間まで、常に勉強をしていたからです。
それは海琳さんだけじゃないです。勉強していない子どもはいません。
わたしたち親が、学習指導要領にしばられているだけ。2年生の2学期に習うことを、17歳で学習したっていいんです。
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※ 【後編】勉強できる子に育つ5つの大切なこと へつづきます。