不登校をしている子どもに、釘をさすことも宥めることもしなくていい

am3こんにちは。

AI-am(アイアム)
星山 海琳 です。

 

あのときあっちの学校を、部活を、会社を、店を、人を、発言を、選んでいたらなー、みたいなことって、誰にでもある。

どうなってるかなんてわからないけど、そしたらどうだったのかなー、てこと。

 

わたしも、こないだふと思ったんですよ。

学校に行かなくなった6歳ごろからずっと、パソコンはわたしの遊び道具で、デザインやwebサイトの構築が好きでよく遊んでいたけれど、もうちょっと首を突っ込んでいたらそれは本職になっていたのかもしれないなあ、と。

 

それも同じなんですよね。

後悔や取り返しなんて大げさなことではないんだけど、でもそれは今だから言えることで、なおかつ自分のことだから言えるわけです。

 

勉強は取り返しのつかないこと?

学校に行かないで勉強をせずにいると、「後悔する」だの「取り返しがつかない」だのと言われることもあるかもしれない。

言われないまでも、そういう視線を感じたり、似た境遇の親子がそう言われているのを見かけたりするかもしれない。

基礎的な学力を身につけられないとか、そうでないなら特別な人間になるか、食うに困らないような専門的なスキルを身につけておけとか。

 

まあ、数々の選択に比べると、勉強っていうのはずいぶん優しいものです。

ましてや義務教育中に学習するようなものは、(いまの日本ならば)いつでも手が届く。

 

それにスキルだってスキルというだけあって、この年齢でなければ身につけられない、ということはない。

「すべてにおいて」「何歳でも」とは言いきれないかもしれないけど、欲求と環境があるなら、学ぶことはいつでもできます(その環境が学校に限られることは、ほとんどない)。

 

後悔をしないように予測し続けることはむずかしい

後悔っていうのは、いくらしたっていいとわたしは思うんですよ。
それに、悔いを残さないことはできても、後悔をしないように予測し続けることはむずかしい。

 

たとえば、勉強をしてこなかったことを後悔する場面があったとする。

“自分に配慮してくれない”会話のなかで恥をかいたのか、はじめたアルバイトで簡単な計算もできないことを指摘されるのか、そんなところですか。

じゃあその人は、後悔して、悲観して、心が折れて、社会不適合者になってしまう?

 

それなら、確かにはじめから勉強をしておいたほうがいいかもしれません。

後悔しないように、恥をかかないように、落ちこぼれないように、ひとつでも多くの保険を集めておいたほうがいいのかもしれない。

 

「後悔しないように」と釘をさす大人

目の前のあれそれを差し出して保険に変えるのもいいけど、わたし自身にはあまり合う方法じゃない。

後悔する前に先回りするんじゃなく、後悔してからにする、という(そういう人は大勢いて、それは多数派とか少数派じゃなくて、「自分はどうか」ってことのはずなんですが)。

 

だって、後悔したときにスタート地点に立てたら、それでいいはずだと思う。

あるいは、後悔は後悔のまま、そんなもんだよなあということにして、自分のやることをやるか。

 

恐れることで得られるものもあるけれど、恐れは少ないほうが心地がいい。

いま学校に行っていない、勉強もしていない子どもにとって、
親にしてほしいことは「後悔しないように」と釘をさすことでも「恥ずかしいことじゃないよ」と宥めることでもないと思うんです。

もちろん、「いつか勉強がしたくなるかもね」とか「そのうち」とか言って、焦れたまま微笑むことでも。

(実際、「後悔しないように」と言われたらこれは後悔するような行動なんだなと感じるし、「恥ずかしいことじゃない」と言われたらふつうは恥ずかしいことなんだな、と受け取っちゃうし)。

 

こういうのって、勉強のことだけに限らないじゃないですか。
もちろん学校のことだけでもない。

子どもだけのことでもなくて、大人だけのことでもない。

 

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