映画『ジェニーの記憶』と今年一年の感謝の想いをこめて。

amam
こんにちは、

AI-am(アイアム)のよっぴーまりんです。

 

映画『ジェニーの記憶』を観ました。

世界では性交同意年齢(性的同意年齢)の引き上げが進んでいくなか、いまだに性的同意年齢「13歳」のままの日本。

映画『ジェニーの記憶』から、暴力は、性暴力だけではなく、心身ともに操作していく暴力性についても考えさせられました。

 

暮らしのなか、親から子へも、この操作性は飛び交っているけれど、自分のなかに潜む暴力に気づき、溶かしていく。。。映画のことと、

2020年に開催した勉強会では、親と子がよりよい関係であるために必要な2つのことについて、前・後編にわたって勉強しました。

そのお礼と、今年一年の感謝の想いをこめて。

映画『ジェニーの記憶』

まりんさんに誘われて、映画『ジェニーの記憶』を観ました。

監督のジェニファー・フォックス自身が、13歳の頃に受けていた性暴力を、詳細に語るドキュメンタリー映画です。

 

性的同意年齢が未だ13歳のままの日本だからこそ、劇場公開してほしい作品。

Amazonプライムビデオでは、今日(2020年12月31日)までプライム特典で視聴可能 です。レンタルもできますよ。

 

映画『ジェニーの記憶』のあらすじと、観ておもうこと

監督のジェニファー・フォックスさん(以下、ジェニー)は、13歳当時はもとより、48歳になった今日まで、少女時代に経験した性暴力を、性暴力とは思っていなかった。

というより、48歳の今では、すっかり忘れてさえいた事柄だった。

 

物語のはじまりは、当時のジェニーが授業で書いたエッセイを、ジェニーの母親が見つけたことから。

ジェニーは、記憶をたどっていきます。

当時13歳の彼女は、ランニングコーチと乗馬の先生とで「愛を共有していた」のではなく、コーチと先生から「性暴力を受けていた」。それは虐待だったのだという被害事実を、48歳のジェニーは受け入れていきます。

観客のわたしたちに、性暴力がいかに許されないものか、「魂の殺人」であること、その恐ろしさを伝えてくれます。

 

 

映画を観ておもったのは、「暴力」が、いかにして思考を洗脳していくか/させられていくか、ということ。

どう、他者の価値観を植えつけていくのか/植えつけられていくのか。

 

自分がいま持っている価値観が、自分が考えぬいたあげくの産物ではない 先入観 であったことを、痛いまでに教えてもらえる映画でした。

性暴力だけではなく、心身ともに操作していく暴力

で、その先入観について。

指示や小言などの干渉によって、こども本人の「その子」を、親や教師の色にかえていく大人だけではなく、

理解ある親や教師、大人が、いかにその子の「その子」を、心身ともに操作していく暴力をふるってしまっているか。

性暴力だけではなく、心身ともに操作していく暴力。

 

映画では、ジェニーは、自らが決めたこと(自主性)を、コーチと先生に尊重してもらえます。

ジェニーからすれば、こども扱いされずに、ひとりの人として、自分で決めさせてもらえた! って感覚。

けれどそれは、巧みな心身操作であり、ジェニーの勘違い。

コーチと先生は、ジェニーを尊重しているかのようにふるまいながらも、実際には、彼女がNOと言えない(言いにくい)立場に追い込んでいくのが、見てとれます。

「同意」の悪用

「いい子にしていなかったら、サンタさん来ないよ」も、

「歯を磨かなかったら虫歯になるよ。怖い歯医者さんに行かないといけなくなるよ」や、「勉強しなかったら将来困るよ、ろくでもない大人になるよ」もそう。

 

「ろくでもない大人になるのと、りっぱな大人になるのと、どっちがいい?」なんて言い方を大人はして、こどもに「りっぱな大人になる」と言わせます(または、そのような空気を醸し出したり)

 

で、

YouTubeやゲームに向かっているのを見ようものなら、勉強をさぼっているととらえたり、

そそくさと寝ようものなら、努力を怠っているように見えたりで、言うんですよね。

「『りっぱな大人になる』って言ったよね」とかなんとか(「二分の一成人式」で、がんばります的な作文を書かせるのも、これとおんなじ暴力だな、って思う)

 

「同意」を、大人は勘違いしています。

「同意」を、大人は悪用しています。

借りものの価値観

きっと、「不登校」もそうなんだろうね。

わたし自身、息子が学校に行かなくなったことで、「学校はどんなことがあっても行かなければならない」と思い込んでいたことに気づき、

じゃあ、そもそも、その価値観はどこからきた価値観だったんだ? と堀りさげていったことで、いまに至っているのだけれど、

自分の価値観だとおもっていたのは、実は借りものの価値観 であったことと、だからこそ、自分自身とズレることで生じる、透明だった恐怖の姿 が見えはじめました。

 

恐怖の実態は、誰かがつくった価値観を、疑うことなく信じこんでいる自分でした。自分が自分を苦しめていたのです。

 

歯を磨かなかったら、、、

勉強しなかったら、、、

学校に行かなかったら将来がない、、、なんて、まわりを見渡してみたら、そんなわけないってことぐらい、すぐわかるはずなのに、

学校に行かなかったことで大人になれていない人なんて一人たりともいないのに、ね。

学校に行っていようと、行ってなかろうと、そんな先入観でもってこどもに恐怖を植え付けない「おとな」の数は、悲しいまでに少ない。

 

わたしのものだとおもっていたその価値観は、どこから来た価値観? ほんとうは誰の価値観?

これを問うのは、とても重要なことだとおもいます。

そこには、受けてきた思考の虐待、暴力性が隠れているから。

ありがとうございました!

自分のなかにある暴力性に気づき、溶かしていきたい。

性的同意年齢の引き上げは、自分一人だけで今すぐに変えることはできないけれど、

自分自身が植え付けられてきた暴力性なら、意識を変えるだけで気づいていけるし、変わっていける(わたしたち一人ひとりがそうすることで、法律も変えていけるとおもう)

 

2020年に開催した勉強会『引き出す親・寄り添う親-子育てとはこどもとの関係を築くこと』『こどもが信頼する親 ー 愛するひとにあたたかい毛布をかけ続けるために』では、

前編・後編をとおして、親と子がよりよい関係であるために必要な2つのこと について勉強しました。

 

年末にもかかわらず、たくさんの方が、ともに勉強してくださいました。

わたしたちは大海の一滴に過ぎないけれど、

地味な草の根活動だけれど、

今年も一年、「オヤトコ発信所」に足を運んでくださって、本当にありがとうございました。

デモクラティックホームのその後も、年明けには一度ご報告できる見通しです。
楽しみにしていてください!

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