親と子どもの海外旅行は「対等な関係」をはぐくむ

am3こんにちは。

AI-am(アイアム)
星山 海琳 です。

 

「親と子どもで海外を旅行するのって、やっぱりいいと思うなあ」と言うよっぴー(親)に対して、
兄(息子)は、「親子で旅行したからって、なんかええことあるか?」と言います。

真逆のように見えて、実は同じことを言っている二人。

親と子どもの海外旅行がはぐくむ、対等な、ヨコの関係 について。

「親子で旅行したからって、なんかいいことある?」

Facebookを開くと、「1年前の思い出」が!

 

 およそ100時間越しの到着、半紙に包まれたケーキ、朝からワインと2Lビールを飲む……な当時の旅行記はこちら

 

空港のベンチで15時間待ち、11時間待ち、バスを乗り継いでさらに6時間待ち……というめちゃくちゃな移動を思い出して笑ったりしつつ、だらだらと家族そろって話していると、

「親とこどもで海外を旅行するのって、やっぱりいいと思うなあ」と、よっぴー。

それに対して兄は、「親子で旅行したからって、なんかええことあるか?」と不思議そうにいいます。

「一人旅ならなんでも自分だけで決められるけど、誰かと行くときは、いろいろ一緒に決めやなあかんから、面倒やん。親と行ったから特別いいことって、別にないわ。誰と行っても変わらんやろ」と。

 

兄と、その母親であるよっぴー、お互いによくわからんなあという顔をしている二人は、わたしから見て、ようするに同じことを言っているなあ、と思うのです。

旅は「している」ではなく「する」の連続

親子や家族に限らず、友だちや好きな人と旅行をするのは楽しいもの。でも、親子間には特別な影響があることも確かだとわたしは思います。

 

手のつけようがないほど関係が悪化している(?)親子はともかく、そこそこ良好か、

これからもっと良好であれたらいいな、ヨコの関係であれたらいいな、と思っているような豊かさのある親が、こどもといっしょに海外旅行をするのは、すごくいいと思う(もちろん、「したい」のが前提ですが)

それは、「している」ではなく「する」の中に身を置くことになるからです。

 

[box class=”yellow_box” title=”「ヨコの関係」って?” type=”simple”]

こどもが、ほかの誰でもない「その子」自身として育っていくために大切なのは、
家庭から 権力=タテの関係 を取りはらい、こどもとヨコの関係になっていくこと。

ひとつ屋根の下で暮らす家族、その誰もが心地よく暮らしていける家庭をみんなで築いていく。

オヤトコ発信所では、話し合いなどについての勉強会 や、デモクラティック教育を家庭にも取り入れていく オンラインスクール「オヤトコ学校 いい舟」で、みなさんと勉強を続けています。

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親の日々では、食事ひとつとっても、利用するスーパー、その時間帯や経路、購入するメーカー、ごはんの時間、外食の選択肢、さまざまな習慣と定型があります。

低年齢のこどもは、それらのルーティンに、ほとんど関与しません。

別に「あえて関与させていない」というわけではないのですが、どれだけ対等に話し合って決めていくといっても、ある程度、こどもは親の選択の範囲で生きています(上記のような食事の習慣、住まい、洋服を買うお店、etc)。

 

海外を旅行するということは、そうした設定が白紙になっているところで、一日一日を過ごすということ。

「親との旅行は、親についていくものだった」

わたしたちの場合は、旅先で普段ととくに変わらない時間を過ごします。だから、滞在中に「非日常」の感覚はあまりないし、帰国後に「日常」の感覚もありません。

けれど、確かにちがう。

電車やバスに乗る、きっぷを買う、部屋の鍵を開け閉めする……。「やる」ことは同じだけれど、いつものように無意識に「やっている」状態ではいられません

 

こどもとは、「ひとり」と「ひとり」でいたい。
それぞれが「あなた」と「わたし」として独立した人間であり、その上で「ふたり」としてともに暮らしていきたい。

そんなふうに思う親でも、日ごろの「無意識」をすべて「意識」することはできないし、いちいちそうしていたら、生活も立ち行きません。

 

でもそんな親が、「より多くの、より根本的な事柄を、ふたりで考え、失敗し、発見していく」をやりやすいのが、海外旅行だと思うのです。

特に、はじめての、不慣れな街では(わたしたちのように、日本語以外はさっぱりわからない親子だけで行くと、なおさら!)

 

 

よっぴーは、自分がこどものころを思い返して、「親との旅行っていうのは、親についていくものだった」といいます。

「友だちと行くのは楽しいから、親と行くのは親がお金を出してくれるから」「わたしは、いいご飯やいい宿を目当てにしてるだけで、自分“たち”の旅行じゃなかった」と。

 

対して兄は、友だちも親もいっしょくたにして、「誰かと行けば、自分ひとりでは決められない」という(そういう過程を面倒に感じるかどうかは、それぞれの好みと目的と気分によりけりですよね)

それで、「親と行ったからって、特別なにかいいことがあるわけじゃない」と、たいへん不可解そうな顔をします。

 

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ベルギービールを飲みに行った、兄とよっぴーのベルギー旅行記

親と子どもの海外旅行がはぐくむもの

親と子どもの海外旅行がはぐくむものは、まさにこの感覚 だと思うのです。

親と旅行をすることは、特別に楽しいことでも特別にめんどくさいものでもない。
ついていくものでも、ついてくるものでもない。
親だから一緒に行くのではないし、親だから一緒に行かないのでもない。

「一人旅」と「誰かとの旅」、大きく分けたその後者のなかに、親も友人も恋人も知り合いも全員入っている、という感覚。

 

もっとも、よっぴーにはそうした意図があったわけではなく、ただただ「海外に行きたい人どうしで海外に行く」を天然でやっていただけなんですが。

でも、意図があったらいけないなんてことはもちろんなくて。こどもとヨコの関係でいたいと思う人が、ひとつでもタテを取り払っていきやすい環境に身を置いたり、

わざわざそんな体験をしてみるのは、とても価値のあることだと思います(海外旅行の場合は、全員が興味を持っていることが前提ですが)

 

……なんてことを昼下がりにだらだらと話しながら、この約一年間、結論はつねにこうです。「ああ、早く旅ができるようになってほしい」。

 

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