勉強しなさい、宿題しなさい、学校に行きなさいという前に知っておきたい親の役割と擦り込まれた5つの産物

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

宿題をなかなかしないこどもに、「宿題しなさい!」

勉強しないこどもに、「勉強しなさい!」

学校を休みたい、行きたくないと言うこどもに、「そんなこと言ってないで行きなさい!」

 

なんで親って、こんなこと言うんでしょうね。しかも命令形で。

そんなふうに言ってしまう、これらの言葉の発端はどこなんでしょうか?

 

親の役割と、知らないうちに擦り込まれた学校教育の産物について書いてみました。

 

学校がおもしろくない!

学校に行きたくない、とか

学校を休みたい、とか

宿題やりたくない、とか

勉強ってなんでしないといけないの? とか

学校がうっとうしい(ウザい)、めんどうだ、とか

学校に行く意味がわからない、とか

学校に行くのって無駄じゃない? とか

 

こういったことを、こどもの多くは、思ったり、考えたりするとおもうんですね。

 

かつて子どもだったわたしたちおとなも、こどものころ、こういったことを思ったりしませんでしたか? わたしはありました。

学校ってなんなん? 先生って何様なん? なんであんたら(先生)に「わたし」を決められやなあかんの?

↓ ホントこんなふうにね、おもってた。

 


※ デモクラティックフィールドのらね(2008年〜)の活動時代に遊んでいた Photo Gallery ~瞬の楽描き~ より

 

大慌てで「親」という服を着る前に

それなのに、どうして「親」になったら、「かつての自分」を忘れてしまうんでしょうね。

忘れてしまう、というか(忘れてしまっているのかどうかは知らないけれど)、なんにせよ「親」を優先させてしまいます。

 

「かつての自分」の延長にあるのが「いまの自分」だよね?

転んだり、立ち止まったり、あらがったり、はぐらかしたり、ジャンプしたり、駆け出したりもして歩んできたいまが、「いまの自分」やん?

ほんでもって「いまの自分」が、また歩いていくだけやん。

(悩んだり、くやしがったり、後悔したり、よろこびに満ちたりしながら歩んでいった(たとえば)10年後、そこから振り返れば「いまの自分」は、「かつての自分」になってる。そのくりかえし。)

 

「いまの自分」のこども(あなたのこども/わが子)が、

たとえば「宿題やりたくない」とか、「学校に行きたくない」と言ってきたなら、大慌てで「親」という服を着るのではなくて、

(部屋着で過ごしていたら、ピンポーンとなって宅配がきたときに、大急ぎで上着をひっかけて出るようなさ)

「いまの自分」のこどもが、「学校に行きたくない」と言っているだけなんだから、部屋着のままで、そのままのことばを受け取りませんか。

 

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どう、受け取るのか。受け取ったあと、なんて言うのか、どう扉を開くのか。については、動画で手軽に学べる「親と子がハッピーになるコミュニケーション講座」で何度でも見ることができるようになりました。

[btn class=”lightning”]「親と子がハッピーになるコミュニケーション講座」を見る[/btn]

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ちなみに、学校は公園みたいなものだよ。

どういうこと? っておもった人は単なる情報不足なだけ。どういうことかと言うと ↓↓↓

 

もしもこんな公園だったなら…

(こどもと)公園に行ったとき、もしも、遊び方を決められていたら、どうおもいますか?

四方どこからでも入れるはずの公園が、公園にはいる入り口さえも決められていたら、どうおもいますか?

運動会の入場門と退場門みたいに、そこからでないと公園に入退場できない。

でもって、公園に入る(公園に行く)時間も決められている。

公園には、鉄棒やブランコ、滑り台、お砂場とあるんだけれど、その使用の順番も決められているの。

 

まずは、鉄棒。つぎにブランコ。ブランコを終えたら滑り台に行き、最後はお砂場。

使用時間も決められています。鉄棒30分。ブランコ30分。滑り台とお砂場も30分。

 

鉄棒を28分で終えようもんなら、あともう少し、がんばりましょう、とか、

どうしてあと、たった2分ががんばれないのかな? とか言われちゃいます。

10分ぐらいでやめようもんなら、もうね、人間否定です((;゚Д゚))

 

雨の日だって、行かなければいけません。大雨でも、カミナリがなっていてもです。

気絶するほどまぶしい夏の暑さや、凍える冬の朝でもです。

 

公園がこんなのだったら、

はあ〜? ってなりませんか?

そんなん、好きにすればいいやん? っておもいませんか?

学校もおなじです。

 

学校の利用も公園のように選ぶことができるのです

6歳になったからといって学校に行かなければならないわけではありません。

毎日、必ずや行かなければならないわけではありません。

1時間目からラストまで、学校に居なければならないわけではありません。

 

学びの主体はこども本人です。

どこで、なにを学ぶか、決める権利はこどもにあるのです。

 

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小・中は行かないで、高校から行くのもありです。

小学校は行って、中・高は行かないのもあり。

まりん さんのように、小中高に行かないで大学へ行くのもあり。↓↓

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そうは言っても、じゃあ勉強は? 学力は? 将来は? となるよね? 読んでみてね↓↓

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LINE@ に届く声

実際、 LINE@ にも、以下のような声がたくさん寄せられます。

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/10/少年アイコン.png” name=”Rさん” type=”l line”]

中学校ひどかったんですよ。記事読んでて思い出したんですが。まず、先生が良いと思ったノートは”お手本”として掲示板に貼られてました。次に、字が汚かったり、忘れ物が多い人は、ホワイトボードに、黒い背景でお化けみたいな雰囲気になっている、磁石でくっつく名前を貼られました。ブラックリストと呼ばれてました。さらに、勉強量をふせんで張り出して、だれがページ数多いとか、勉強時間多いとか、やってました。

[/voice]

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/10/少年アイコン.png” name=”Tさん” type=”l line”]

もうやってられないよ

[/voice]

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/10/少年アイコン.png” name=”Cさん” type=”l line”]

学校行く意味ってあるの?

[/voice]

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/10/少年アイコン.png” name=”Kさん” type=”l line”]

毎日がつまんなくて、変わんない学校へ行く意味がわかりません。

[/voice]

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/10/少年アイコン.png” name=”Mさん” type=”l line”]

なんか時間割してるだけで明日のこと考えちゃって、まじで行きたくなくなります。寝たくないとか、明日が来なければいいのにとか、そんなベタなことしか考えてません。なんで行きたくないかって問われると答えられませんが、行きたくないです。でも行かないといけないっていうなにかがあるので行ってしまいます。特に辛いことも無いのですが、なんかストレスが溜まって言っている気がします。最近イライラしやすくなったり、急にぼーっとしたりちょっとしたことで落ち込んでいたりしています。すいません。

[/voice]

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/10/少年アイコン.png” name=”Yさん” type=”l line”]

とにかくクソおもしろくない

[/voice]

 

学校がおもしろくない5つの理由

上に載せた LINE@ は、ほんの、ほんの、一部分の紹介にすぎませんが、

なぜ、かつてこどもだったわたしたち同様、「いまの自分」のこどもたちまでが同じことを言うのか、考えるのか。

時代は、令和になっているにもかかわらず。(むしろ、管理に加え、監視までふえたね)

 

① 公園も学校も遊ぶ学ぶところなんです。

>>>「勉強」は遊びのなかにある。いつだって「今」必要なことを学んでいる。

 

② なにを、どう、学ばせるか、ではないのです。

 

③ 人(他者←わが子も含む)が、なにを、どう、学ぶか

そんなこと他者が、誘導したり、強制・強要したり、教えたりできることではないのです。

 

④ なにを、どう、学んだか なんて、そんなこと他者にはわからないのです。

他者がわかる必要もないんです。

 

逆上がりのしかたは教えることができても、そこで、なにを、どう、学んだかは、本人しか知る由はありません。

⑤ それなのに、教えたことは(教えられた通り)〇〇と学べ! と権力をもった単一性価値と評価が襲いにかかる。

 

そんなじゃ、公園はおもしろくなくなるよー!

 

だからでしょ? 学校がおもしろくないのは。

飼育のごとく、この ①〜⑤ が擦り込まれていくのです。

本来、学ぶことは楽しいことなのに。

 

誰だって自分に必要なことを学んでいる

自分が親になって、わが子が、「学校に行きたくない」とか「学校を休みたい」とか言ったとき、

どうして、まずは、空から見えていた景色を思い出そうとしないんだろうね。

どうして、わが子の「いま ここ」より、親という名の服を着た自分を優先してしまうんだろうね。

わたしたちおとなは、どうしてこうも臆病になっちまったんだろうね。

 

教えたことは(教えられた通り)〇〇と学べ! と権力をもった単一性価値と評価が襲いにかかる。

↑↑ この教育、すごい威力だね。暴力だね。

 

思い出してみませんか?

学校に行かない(あるいは言うことをきかない)こどもに目を向けるんじゃなくて、空から見えていた景色を。

 

そんでもって、いまの自分の思考だと、こどもを臆病者にさせてしまうこと、知っていきませんか?

教育は飼育ではないのだから。

 

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