認可校のオルタナティブスクールがくれる「安心」と、学校を選ぶ力について

こんにちは、
AI-am(アイアム)星山海琳 です。

前回の記事で、きのくに子どもの村学園のドキュメンタリー映画『夢みる小学校』の感想を書きました。

そこから派生して考えていた、
認可校/未認可校のオルタナティブスクールについてのことと、
「こどもにはまだ学校を選ぶ力はない」「こどもにとって選択肢は逆にプレッシャーになる」、それはどうだろう?
ということについて。

認可校への安心、未認可校への不安

前回の記事「『夢みる小学校』きのくに子どもの村学園のドキュメンタリー映画の感想 - これは「普通」? これは「自由」?」でも少し書いたように、きのくに子どもの村学園の魅力は、オルタナティブ教育を取り入れながらも認可校(一条校*のひとつ)であるという点が大きいと、個人的には思います。

※一条校…学校教育法第一条で定められた学校(みんなが知っている一般的な学校)

 

もちろん、きのくに子どもの村学園に通っている/通わせているのは、多かれ少なかれその教育理念・方針に共感した方でしょうし、いやいや仮に認可されていなくても自分(たち)は子どもの村を選んだよという方もいると思いますが、やっぱり学校法人かどうか、認可されているかどうかという点は大きいんですよね。

それは一貫してポジティブな意味ではなくて、慎重になりたい部分もあるけれど、事実ではあります。

 

きのくに子どもの村学園のほかにも、シュタイナー学園、(イエナプランを採用した)大日向小学校など、オルタナティブ教育を取り入れながら私立校として認可されている学校は増えてきました。今後もそうした流れが続くと思います。
といっても現状としては、多いというほどではありません。

大小、多くのオルタナティブスクールは今のところ未認可です。

そのため、こどもたちは地域の公立学校に籍をおきながら、オルタナティブスクールへ通うことになります。
(今はそれによるメリットもありますし、こどもにとって重要な「学校」という場なので、認可というシステムがある以上は慎重にならざるを得ないところは大いにあるのですが。)

 

未認可校であることを理由に、オルタナティブスクールへの入学・通学を「やっぱりやめる」方も多い。それは当然のことだと思います。

未認可であることに引け目を感じない人はいても、未認可であることを理由に選ぶ人はおそらくいません。

いわゆる「普通」とは違う学校へ通おうかなというとき、親にとってもこどもにとっても、それが国から認められている学校であり、正式な学歴になるというのは、まあ安心するというか、ハードルがぐっと下がるようなところが、どうしてもあるんですよね。

2種類のオルタナティブスクール

いま、オルタナティブスクールは2種類に分けられます。

「自由」や「主体」を認可の形に合わせたり、認可されやすい、現代社会が持てはやす流行の方針や文句(アクティブラーニング、 非認知能力、SDGs、etc…)を着せたりして、あくまでも枠組みから逸脱はしない学校。

認可はされているほうがいいけれども、自分たちの理念・方針をその基準に収まるように合わせて改変してしまうと元も子もないので、理想の学校である「これ」が認可されることを望んでいる・働きかけている学校。

 

どちらも手段のひとつで、賢明さを容易に判断することはできない。いいとこ取りができるほど成熟した世の中でもない。
そんなとき作り手にできることというのは、その学校の立ち位置や理念・方針の枠組みを騙らないことです。

選び手ができることといえば、構造や流れに目を凝らしておくこと、自覚的でいること、同時になにもかも度外視して好きなものを選ぶこと、疑いも夢中もどちらも大事にすること、でしょうか。

こどもにはまだ学校を選ぶ力はない?

選び手、というのはこども本人であり、年齢によって、あるいは金銭や労力、環境などの面で親(保護者)でもあります。

それは仕方のないこととしても、親はときどき、「こどもにはまだ学校を選ぶ力はない」「こどもにとって選択肢があるのは逆にプレッシャーになる」といいます。

よく知りもしないものの選択肢が多いと選ぶのが大変だというのは、当然なんですよね。

こどもに限らず、いくら年を重ねても、全然詳しくない家電を買わなきゃならないときとか、はじめての物件探しとか、めちゃくちゃ大変です。
選択肢がないほうが絶対に楽!と思うこと、思いたくなること、ざらにあります。

 

大人のほうも、一条校にデモクラティックスクール(サドベリースクール)に子どもの村にシュタイナーにイエナプランにサマー・ヒルにフリースクールに……といろんなタイプの学校を同程度経験した・公平かつ正確な知識を持っている人というのはほぼいないはずだから、明確にどの学校が良い・悪いなんて、よくわかるはずがないんです。

どんなタイプの学校にも、長所があれば短所もあるし。同じ学校に通ったところで、こどもの育ちやその後の生活なんて、こどもたちそれぞれでまったく違うわけだし。

それなのに「こどもにはまだ学校を選ぶ力はない(から親が選ぶ必要がある)」と断言できるような大人は、「自分には(知りもしない)学校を選ぶ力がある」と言っているようなもので、そんな人のこと、ぜんぜん信頼できないとも思います。

 

ましてや、実際に学校生活を送るのは親ではなくてこどもです。

細かな好き嫌い、得るもの失うもの、毎日見る景色や友だちの移り変わり、におい、味、痛みや喜び、すべてを考慮して選ぶ力が(どんなに近くても結局は他人である)親に「選べる」なんて、奇跡みたいな話です。

こどもは嫌でも自分で先を見るようになる

学校選びにかぎらず、「こどもの選択が正しい」とはもちろん言わないし、それはのちのちになって本人にとっての後悔を呼ぶことだってあるだろうし、親にとっての失敗や不正解に当てはまる選択かもしれません。

こどもよりは大人のほうが知識や経験が多くて、先を見通す力があるというのも確かです。

それでも、大人がなんの躊躇いもなく言う「こどもにはまだ学校を選ぶ力はない(から親が選ぶ必要がある)」という言葉を信頼する必要はないし、大人はせめてその権力に自覚的であってほしいと思う。

 

親がお金や労力以外のこと、あるいはごくごく素朴でない感情を滲ませてこどもの意思を遠ざけるって、ほんとうに卑怯です。

明確な進路や目標のために適した学校を選びたいときならまた話は別ですが、(大人がかつてそうであったように)こどもは嫌でも自分で先を見るようになります
先が見えない・見ない・見る必要のないこどもに、親が不安を押しつけ担がせ、こどもの意思をねじ曲げてもしょうがないとは、わたしには思えません。

「好きなもの」を「選ばせたい」親

また、それまでさまざまなことを勝手に親に決められてきたこどもが、「どれでもいいよ」「好きなものを選びなさい」と親から選択を迫られればもちろん困るし、親に突き放されたような感じもします。

正解を探ったり、失敗してはいけないと苦しくなってしまうこともあると思います。

こどもに「選ばせたい」という動機で、親がこどもに「選ぶこと」を強要・期待していたら、当たり前です。

それを「うちの子には難しい」とか「徐々に慣れさせていく」とかいう方もいるけど、ほんとうに失礼極まりないというか、親がどれだけ自分を信じられずに、受け入れられずにいるのかと思います。

選ばせないとか選ばせるとか、モノ扱いされて振り回されて、こどもはもう本当にたいへんです。
親をばかにしつつ、求められたことを適当にこなすこどもなら傷は深くないかもしれませんが、それだってないに越したことはありません。

 

選択肢に恐怖心をもたず、選べないとか選べるとかいう二択の地点にも立たずに、選ぶこどもも中にはいます(もちろん、選んだものがすべて必ず「正解」というわけではありませんが)(で、正解って一体…?)

選択肢があるのも、選ぶのも、当然すぎるほど当然で、今の自分にわからないことは決めてもらったり調べたり、わかる人に相談したりするし、感覚で決めることもあればじっくりと考えて決めることもある。楽しみを取ることもあれば、先を見据えた苦労を取ることもある。

そんなふうに育ってきたこどもにとっては、選べないことや、選択肢を大人の都合で前もって狭められることは、安心するとかムカつくとかいうより、「なんか意味不明」みたいな感じがするでしょう。

学校はもうすでに「いろいろある」から

でもすべてのこどもの家庭環境がそうではない、というかむしろ少ないくらいです。だから、場合によっては、「選択できること」はポジティブやネガティブに傾く。

でも学校に関していえば、「このほかに選択肢はない」と(その自覚もないほど)思い込みすぎていて苦しくなる状況が、あまりにも多いのが現状だと思うんですよね。
こどもはもちろん、親でさえそうです。

選択肢は多すぎないほうが楽、といっても、「これしかない」と思い込んでいるものがどうにもこうにも合わなければ、これほど苦痛なことはないです。

本当に「これしかない」ならともかく、学校は実際にはもう「いろいろある」わけですから、少なくとも「いろいろある」ということくらいは知っていていい。「いろいろある」ことを知ってはじめて、今いる場所だって、よく見えてくるのです。

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