こんにちは。
AI-am(アイアム)の
星山 海琳 です。
↓ よっぴー・まりんの LINE@ にいただいたメッセージより ↓
大人はどうして熱で全てを決めるんですかね、熱がなかったらはい、大丈夫、ってなんでなるんですかね、
頭痛や腹痛は本人しか分からないのに、大丈夫も何も決められないと思うんですよね、
勉強が心配だから、とか言うけど体調崩しているのに、もっと悪化させたら、元も子もないじゃないですか、
それなのにどうして熱で決めるんですかね
LINE、ありがとうございました!
以下で考えていきますね。
大人たちの信じるもの、わたしたちにできること
大人は、数字を頼りにものを判断することが多いです。
頭痛や腹痛を数値化できたら、熱じゃなくてもいいかもしれません。
数字で自分を判断されてきた人が、人を数字で判断するようになるのは、自然なことです。
よほど子どもとしての自分を保つことのできる人や変革のあった人でなければ、”教育されてしまう”のは、避けがたい。
だから、そうやってものを決められることに違和感や嫌悪感のあるわたしたちにできることは、違和感や嫌悪感を持ち続けることだと、わたしは思うんですよ。
信頼ができないのは子どものせい?
その人たちは、子どもではなく、計測器がはじき出した数字のほうを信頼している ってことです(そんなことないって言われるかもしれないし確かに感情は複雑だけど、客観的に見れば、これは事実だと思う)。
それって、あなたが信頼できるような子どもじゃないからだろうか?
信頼を置けるような子どもじゃないあなたのせいなんだろうか?
親から子への信頼って、「できる」とか「置ける」ようなものじゃない。
「ある」か「ない」かのどちらかだと思うんです。
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今日はじめて会った他人なら、今日見える言動で判断するしかないけれど、親はずーっと子どもを見てきている。
子どもは自分で育っていくけれど、親が育てている、育ててくれている部分、影響を与えている部分ももちろんたくさんあります。
親子の関係性を編んでいけるのも、やっぱり親なんですよ。
信頼ができないような関係性も、信頼のある関係性も。
熱なら甘えじゃない?
ちなみに、イメージとして熱がいちばん「病気っぽい」っていうのもありますよね。
頭痛や腹痛は精神的な問題かもしれない、つまりあなた自身に問題があるかもしれない、でも「熱なら甘えじゃない」、みたいな。
真っ向から相手にしていてもしょうがない、そんなのは。
問題でもなんでもないことを問題にして、疑ったり決めつけたり、否定したりすること、その大人を前にしたとき湧き上がった、冷たくもあり煮えるような感情のこと、できれば憶えておきましょう。
そうしてわたしたちの軸の糧になっていく。
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