「大人になったらわかるよ」〜 こどもが “いま” について話すとき親がするべきこと 〜

amam
こんにちは、

AI-am(アイアム)のよっぴーまりんです。

 

親は、こどもの望みとは異なった選択を言い聞かせるとき、「今はわからなくても、大人になったらわかるよ」といいます。

進路、生活習慣、習いごとやアルバイト、仕事、就職、交際相手……。

たくさんの選択があるけれど、「今はわからないことをさせる」行為は、こども自身の五感や思考、経験による自信や自律性をひどく弱めてしまいます。

 

大人になったらわかるから、とにかく今は親の言うことを聞いておきなさい」

親は、こどもの望みとは異なった選択をすすめるとき、「大人になったらわかる」といいます。

「今はわからないだろうけど、大人になったらわかるから、これでよかったと思うから、今はわたしの言うとおりにしておきなさい」と、こどもが嫌がること、不満を呈することに対して言い聞かせようとします。

たとえば、

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  •  進路(その学校じゃなくこっちの学校にしておきなさい、その専攻では将来困るからこっちの専攻にしておきなさいetc)
  •  勉強(今はしたくなくても、あとになれば勉強しておいてよかったと思うから、がんばりなさいetc)
  •  習いごとやアルバイト、これらをやめずに続けること(この習いごとのほうが役に立つよ、向いているよ、そのアルバイトよりもこっちのほうが勉強になるよetc、すぐにやめると癖がついてしまうよ、続けることに意味があるし、続けていたらきっと楽しくなるよ、もうちょっと続けてからにすればetc)
  •  「悪い友だち」と付き合わないこと(あの子は学校に行っていないから付き合ってはいけない、あの子の親は非常識だから親しくしてはいけないetc)
  •  職業、目指す夢、就職先(そんな職業は将来性も安定性もない、成功するのはほんの一握りだけだから早く諦めないと取り返しがつかなくなる、現実を見なさいetc)
  •  交際相手(若いうちはよくても年をとると後悔する、今は浮かれているだけで痛い目を見る、結婚するならそんなひとじゃなくこんなひととetc)
  •  門限(なにかあってからじゃ遅いから、夜遅く/朝帰りしていると周りによく思われないからetc)
  •  お金の使いかた(今はそれが欲しくてもあとになればどうせ要らなくなるでしょ、浪費癖がつくとよくないからetc)

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などなど、「今はわからなくていい、大人になったらわかるから、とにかく今は親の言うことを聞いておきなさい」といいます。

 

これらは、命の危険があるような事柄や、車の行き交う道路に飛びだすとき、治安の悪い地域の夜道を無防備にひとりで歩くとき、などではなく、

いくつか(いくつも)ある選択肢からこどもがなにかひとつを選ぼうとするときに、言われることです。

 

親にとってはこどもに悪影響があるように感じられることや、失敗、間違いに繋がるように感じられるようなこと、自分の価値観では受け入れられないこと、経験のないことに対して。

 

[box class=”green_box” title=”「なぜ親はこどもに友だちがいないと心配になるんだろう?」” type=”simple”]よっぴーまりんのネット・トークライブ「それは自動ドアじゃない」Vol.5のテーマは「なぜ親はこどもに友だちがいないと心配になるんだろう?」です。

 

「うちの子、友だちいないんです。どうやったら友だちができますか」というまえに、どうしてそう思うのか? を晴らしていきませんか。

こどもをみていると、自分の狭い考えや感覚をゆるめて、ときほぐしてくれるなあ、と思うことがたくさんあります。

こどもの友だちのことで苦しむのは、わたしたち自身が友だち、人間関係といったものに苦しんでいる証拠かもしれません。

 

わたしたち大人が、またひとつ楽になれる学びをくれているときです。ここから学ぼう!

 

「それは自動ドアじゃない Vol.5」は2020年8月28日(金)〜8月30日(日)夜まで視聴可能なネット・トークライブです。

詳細はこちら

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正解のない「あなたの幸せ」のために

こんなことって、たいていは、大人になったらホントにわかるんですよね。わかってしまう、と言ったほうがいいのかもしれません。

親になれば親の気持ちがわかる、理解できる、といった感覚とは違って、ほとんどのひとたちはみんな「大人になってしまう」のだと思うんです。

 

主観や価値判断にもとづいて「いい」「悪い」の評価を下している事柄について、親はあれこれと口や手を出します

正解のない、「あなたの幸せ」というもののために。自分の考える幸せは、こどもの幸せだと思ってしまいます

けれどこどもは「いい・悪い」ではなく、「好き・嫌い」や「やりたい・やりたくない」、根幹的、感覚的な惹かれる・惹かれないで判断をしています

 

もちろん、それを「周りが見えていない」とか「考えが浅い」と言い換えることはできるでしょう。

経験が少なければ少ないほど、その行為が先々に及ぼす影響まで考えていないのは確かで、その選択が本人にとっても「あちゃー」という結果を作り出すことは、大いにありえます。

こどもには選びたいものがある

でも、その結果を引き起こさないため、失敗しないために「今はわからないこと」を「させる」のは、こども自身の五感や思考、経験による自信や自律性をひどく弱める行為です。

 

選びたいものがなくて親に相談しているのではなく、こどもには、選びたいものがあるのに。

こどもは選びたいものを知っているのに。

 

そうやって、自分を大切にできない大人になってしまうんですよね。

今はわからないことを、わからないまま、押しつけられてやっていたら、感じることも、発見することも、考えることもわからないままです。もちろん、責任だって、自由だって知ることができない

自分がきれいだと感じるものさえ、わからなくなっていきます。きれいなものはきれい、汚いものは汚い。じゃあ、「わたし」の感じたものはどこに?

 

本当なら、自分の心ひとつで自分の幸せのなかにいることができたのに、他人から、世の中から承認される幸せを作らなければならなくなってしまう。それは、わたしたちがときどき不幸と呼ぶものではないんでしょうか?

 

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大人でありながらこどもであり続けること

それでも、「大人になればわかる」。

なぜわかってしまうのか? 親や多くの大人のような善悪、損得、生産性、道徳に価値を置き、幸福は承認されるものでなければいけないと考える大人になったからです。

 

それは、ひとりのこどもが、ひとが「大人になる」こととは違います。

こどもが生まれれば誰もが親という肩書きを得るように、生きてさえいれば、大人と呼ばれる存在になるのは簡単なこと。

でも、それはどんな大人?

頭で考えることもなくわかっていた自分のことが、わからない大人に?
かつて大人が「今はわからないだろうけど」と諭したあの幸福が、わからない大人に?

 

ひとはいつまでもこどもではいられないし、こどもでいられるのは、こどものときでしかありません。

それは事実だから、大人になることでわからなくなるものはあるし、見えなくなるものも、失うものもあります。だからこそ、ひとは生きていくことができる。

でもすべての物事がそうではありません。

「こどもっぽい大人」「幼稚な大人」になってはいけないけれど、「大人でありながらこども」であり続けること、自分という存在のかたまり、全身全霊が自分の生命そのものだった「こども」を失わないでいようとすることは、とてもとても大切です。

こどもが「いま」について話すとき親がするべきこと

「大人になればわかる」と言われたとき、「わかるような大人にはなりたくない」と思いませんでしたか。わからなくていい、ずっとわからなくていいんです。

わたしたちはみんな今現在を生きることしかできないのに、「わかってしまった」大人は、いつも未来を生きようとします。

それは未来に希望を持つこととは違っていて、未知への不安と恐怖に立ち向かうこととも違っていて、あらゆる責任逃れのために右往左往しているだけです

 

親が生きかたを変えるのは簡単なことではないし、誰もが必ずしもそうするべきなのでもありません。

でも、「いま」を生きているこどもを、「いつか」に生きさせようとすることはやめたい。

だからせめて、こどもが「いま」について話すとき、「いま」に立って返事をしませんか?

 

[box class=”pink_box” title=”こどもの声を聴く” type=”simple”]

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