こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴーです。
不登校をしているとき、「学校は?」「授業中じゃないの?」「何年生?」「好きな教科は何?」などと聞かれることがよくありますね。
正直に学校へは行っていないと話して、いろいろ事情を聞かれるのも嫌だし、面倒!
不登校アルアルですね。
こんこんなとき、どうする?
よっぴーやまりんちゃんは、どんなふうに伝えてきましたか? とご質問をいただきました。
もくじ
「何年生?」「どこの学校にいってるの?」「クラスは何人くらいいるの?」「好きな教科は何?」などと聞かれて…
LINE@ にいただいたご質問。
[aside type=”boader”]LINE@ へのご質問
10歳の娘は幼稚園からフリースクールに通っていて、昨年秋にフリースクールにも行くのをやめ、いまは家で過ごしています。僕も妻もそれはそれで生き方の選択としていい、という考え方でいます。
よく人から「何年生?」「どこの学校にいってるの?」「クラスは何人くらいいるの?」「好きな教科は何?」など聞かれることがあり、正直に学校行ってないと話すと、なんで?とか、いろいろ事情を聞かれるのが嫌だし面倒で、在籍してる学校の名前を出して、サラッと流してきました。
でも、つい先日、その場面で見せた娘の複雑な顔を見て、娘は自分が嘘をついているような気持ちになっていたかもしれない、と昨日気がついて。
やっぱり毅然と「学校には在籍はしてるけど行かない選択をしているんだ」とか「ホームスクーリングをしているの」と嘘がない言い方をしたほうがいいのかな、と思い直しています。
それはそれでいちいちやりとりが面倒なんですが、、、。娘とも一度話してみようかな。
よっぴーやまりんちゃんは、そういう時にどんなふうに伝えてきましたか?
良ければ教えてください。[/aside]
メッセージをありがとうございました!
無意味な質問
「何年生?」「どこの学校にいってるの?」「クラスは何人くらいいるの?」「好きな教科は何?」などと聞かれること、コレ、ほんと あるあるですー!
「オヤトコ発信所」をお読みくださっているみなさんのなかにも、大勢いらっしゃるのではないでしょうか?
コレ、ほんとウザいんですよね。いちいちめんどくさいし。
海琳 さんが行っていた デモクラティックスクール(サドベリースクール) も、
学年やクラス分けがなく、いろんな歳のこどもたちが一緒に過ごすなかで、たがいに教えあったり、影響を受けたりしながら、多くのことを学んでいく年齢ミックス だったので、
「学年」という区分けのない環境で学んでいた彼女は、「何年生?」と聞かれるたび、世の中の滑稽さをみてはったようにおもいます。「好きな教科は?」も然り。
「大きいね〜。クラスで何番目?」とかや、
よくある「大きくなったら何になりたい?」とかもね。
こども本人が背負っていくこども自身の課題
で、うちの場合は、
わたしに、または、わたしひとりでいるときに「こどもさんは何年生?」などと尋ねられたら、そんときはわたしが、あれよこれよとこたえますが、
でもって海琳さんひとりのときは、海琳さんひとりなんだから、そりゃこたえるのも海琳さんになるんだけれど、
わたしと海琳さんが一緒にいるときも、
「学校は?」「授業中じゃないの?」「何年生?」「どこの学校にいってるの?」「クラスは何人くらいいるの?」「好きな教科は何?」など聞かれたときは、海琳さんがこたえていました。
尋ねてくる相手によって答えは変わる
- わたしひとりのとき
- 海琳さんひとりのとき
- わたしと海琳さんが一緒のとき
いずれにも共通していたのは、相手さんによって、こたえ方は変わるということでした。
こどもは相手さんの価値観や思考がみえるのと、
親に、自分のあり様を丸ごと受け入れられているこどもで、かつ、親を信頼しているこどもは、親以外の人にまで「わかってもらいたい」とはおもっていないので、相手をみて適当にかわしていました(「わかってもらう」ための努力?みたいなことはやらない)。
そんなだから、ウソはイケナイものとは、とらえていないです。
こたえ方としては、
オルタナティブ教育や、オルタナティブ不登校、公の学校も含め、「生きているところすべてが学びの場だよね」といった考えとは縁がなく、純粋に「何年生?」と聞かれている方には、「〇年生」だったり、
「こいつ、うっとうしい奴だな」と瞬時におもった相手には、こたえなかったり、適当にかわしたり、
「この人、わかっている」「できている」とおもった人には、でもって自分に時間の余裕があるときは、海琳さんは率直にこたえていました。
できているというのは、自分の価値観は脇に置いて、他者の価値観に耳を傾けられる人のこと。毎日を真っさらで生きて「学ぶ」をしている人。
[box class=”blue_box” title=”「何年生?」と聞かれて”]
- 悪意のない相手 ➡︎ 「◯年生」など臨機応変に。
- うっとうしい相手 ➡︎ 適当にかわすなど臨機応変に。
- いいなとおもう相手 ➡︎ デモクラティックスクールに行ってた頃は、「わたしが行ってる学校には学年やクラス分けはないねん」/行っていなかったときは、「学校には行ってない(行ってたら◯年生、みたいな)」など臨機応変に。[/box]
人生はいつだって授業中
あらたまって話すのではなくて、
「いまの人、おかしかったよなあ/ウザかったよなあ/いい人だったよなあ」なんて、その都度々で言ってましたね。
たとえば、コンビニのレジで、店員さんに、
「あれ? いま授業中じゃないの? 学校は?」ときかれた海琳さん。
「うん、そうだよー。授業中だよー」(←コンビニを出てから、人生はいつだって授業中やんなあ、て名言を言ってました)とこたえるときもあれば、
「創立記念日」(← ウソ)とこたえるときもあったり。
「学校には行ってない」だったり。
「学校には行ってない」とこたえて、
「え? なんで?」なんてきかれて、
「あ〜こたえるん、めんどくさい!」と言ったり。
こどもたちがどのようにこたえようと、わたしは黙って見ていただけでした。
(LINE@ に届いたこのメッセージを読んで)海琳さん曰く、
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2018/08/海琳,ボウズ頭.png” name=”スクールに通っていた頃のまりん” type=”l”]誰にも話しかけられたことないからなあ〜[/voice]
記憶がないそうです(笑)。
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