「ひとつ屋根の下」をこどもと、ねこと、作っていくこと

amam
こんにちは、

AI-am(アイアム)のよっぴー、まりんです。

 

わたしたちの家に、ねこ(吾輩)がやって来てから、二年と一日が経ちました。木のように、人のように、本のように、建物のように、味わいの深まりを見ている日々。

星山海琳のnoteで更新している、ねこの日記も紹介しています。

ねこ

よっぴーとまりんのおうちにねこ(吾輩)がやって来てから、二年と一日が経ちました。

はじめて、ねこと暮らすようになって気づいたのは、「ねことこどもは同じ」だってこと。

 

もちろん、なにもかもが同じではないし、こどもにはある生活がねこにはなかったりもします。人間と同じものを食べるわけでも、

でも、いきものが「学ぶ」ということや、「あなた」と「わたし」が暮らすひとつ屋根の下を敬意と尊重で満たすということは、まったく同じなんです。

 

吾輩との暮らし

過去の記事でも、何度かねことの暮らしに触れてきました。

ねこの子も、にんげんの子も、そんなしつけは要りません。

してほしいことをしてくれないとき。

してほしくないことをしはるとき。

変えられることは、環境です。

分かり合わなきゃいけないことは、相手と自分は違うんだということです。

(そのうえで、どんな言葉をつかえば相手に自分の気持ちが伝わるのかを考えながら、相手がなにを解ってもらおうとしているのか解ろうとしながら、話し合っていく)

 

はじめてねこがやってきて、必要なものを揃えたり、自宅の環境を整えたり、普段とはちがう忙しさを味わうなか、たくさんのことを考えさせてもらえました。

こちらのエゴや、こちらが相手の行動や意思を知るまえに先回りしないこと、親が子どもにかけるべき愛情ってなんだろう? などなど…。

 

>> 猫の台所侵入を防ぐ柵方法から教えられた猫の子も人間の子も子育てでいちばん大切なことは同じだったという話

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この記事を書くきっかけとなった、まりんさんと吾輩さんとの信頼関係が紡がれていく様。

窓の外からきこえてくる音(パトカーだったり、ゴミ収集車だったり、雨や風の音だったり)や、トントントンと台所で野菜を切る音がなんの音なのか、逐一丁寧に吾輩さんに話している彼女。

においを嗅げば、それはカレーだと言い、カレーとはどんな食べものか、、、を細かく教える。

いつだってその声はやさしく、まなざしはハートを全開にする。

 

>> 親と子の信頼関係を構築していく4つの手法!後編。愛する人に「愛している」と言える幸せ

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こどもの愛情を教育によって育てることができるかどうかは、教育とは何とおもうか、の問いに落ちるんだろうけど、

ともかく人格の主要な骨組となる愛情は、家庭においてつくられると思っているんですね、わたしは。

じゃあ、どのようにして、こどもの愛情が発展するのか。

その問いを、まりんさんと吾輩さんと恭子さんを見ていて、教えてもらえた今回でした。

 

>【7メートルの冒険】愛情は合理主義からは出てこない。親の子への愛情と子の親への信頼

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名まえを呼んでも、返事はない。

ベッドの下も、ふとんのなかも、押入れも、、、どこをさがしてもいない。

 

吾輩さんは用心深いねこで、保護されたとき、近くに吾輩のきょうだいとおもわれる仔猫たちが、あたまを食べられたりして死んでいたそう。

きっと、どこかに隠れていたんだろう。その警戒心の強さが吾輩のいのちを救った。

 

なんども、なんども、名まえを呼びつづけていると、やがて吾輩がまりんさんのまえに姿をあらわした。

まりんは抱きしめ、やさしく、やさしく、事情をはなした。

 

>> ねこと暮らすように、こどもと暮らそう

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雑誌『歩く花』の初号でも、まだうちに来たばかりの吾輩の話を書いたりしました。

 

星山海琳のnote

星山 海琳さんの note でも、吾輩のことを綴った日記が更新されています。

手をつないで横断歩道を渡る母親と男の子を眺めていた。ちいさな身体で彼は母親を見上げて笑ったけど、彼女はたまたまそれに気づかなくて、目線は交わらなかった。世界は易しくなくてはならないと気づく瞬間、吾輩の顔が浮かぶ。あの子は一から十までわたしたちの身勝手さのなかで暮らしていて、ねこ調べ・人間向け幸福度数が叩き出される日はこない。それでもあの子が話しかけてくれるとき、わたしはひとつも逃さずに返事をしたい。あの子が安心を求めるとき、わたしは時計を手放したい。天気を共有し、何度でもあいさつをしたいと思う。

>>> 2019年10月の日記(note)

 

言葉がわからないから、よく声を聴く。よく目を観る。身体のゆるみやこわばりを観る。抱いて、近くにいく。言葉ばかりにたよらずに、声が届くように何度も伝えてみる。

吾輩は頭がいいから、よく感じとってくれる。ほかの誰かがいることがこの子の幸福になるなら、その相手と出会いたいと思う。でもどうかな、わからないのだ。わかることより、わかっていることより、わかりたいと願うことが、わたしたちを信頼へと連れていくような気がしている。

>>> 2020年5月のねこ日記(note)

 

しばらくして吾輩は、これはそういうものか、そういうものだな、と見当をつける。

急に大きくなるカーテンは、頭上から吹いてくる冷たい風は、冬の無機質な物体のぬくもりは、あの子のどこに折りたたまれていくのだろう。たくさんのメッセージが、あの子のもとに届く。

>>2020年6月のねこ日記(note)

 

こどもとなじんでいくように

こどもが生まれて、時間をともにするにつれ親がだんだん親になっていくように、わたしたちと吾輩は二年前から少しずつ同居人になっていって、自然になって、「ひとつ屋根の下」をいっしょに作ってきたんだなと思うのです。

「飼う」とか、「育てる」とか、やっぱり、とんでもなくて。

 

毎日、毎時間、こどものことを知っていくように、吾輩のことを知っていく。知ろうとするのではなくて、日夜を過ごすことで、季節をいっしょに一周することで、自然とわかっていく。なじんでいく。

それはきっと、吾輩にとっても同じことだからで、お互いの色を溶かしながら、わたしたちは共同生活をいとなむ。

そんなのが、とてもうれしいです。なじみあえる相手がいるわたしたち、幸せですねー。

 

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