こんにちは、
AI-amの
よっぴー です。
フリースクールへの出席が学校への出席扱いになっているともらえる通学定期のことと、
学校復帰を目的としていないデモクラティックスクール(サドベリースクール)、オルタナティブスクールの姿と行く道について語っています。
もくじ
不登校をしながらフリースクール等に通うと出席日数になる
公の学校には行かない子どもがフリースクール等に通う場合、フリースクール等に行った日は、在籍する学校の出席日数に振り替えられます。※1
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※1
フリースクール等に通っていても、公の学校に行かない子どもの籍は、公の学校に置かれています。つまり、地域の小中学校に籍を置きながら、フリースクールに通っているということです。
また、在籍する学校の出席日数に振り替えられるかどうかは、在籍する公の学校の校長先生の裁量によります。
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この「校長裁量」が厄介だったりもしますが、学校にとっても、出席扱いにすることで不登校児童生徒の数が減るというメリットがありますから、出席認定は多くの学校で行われていると思います。
フリースクール等に通った日が、在籍する学校の出席日数として認められると、通知表の出席日数欄にもその数字が反映されます。
なので、こんなふうに↓ 授業日数と欠席日数が同じ数字になったりはしません。
実習用通学定期を使用する方法
フリースクール等での出席日数を、在籍する学校の出席日数に振り替えますよ、と認められると、「実習用通学定期」の使用もできるようになります。
「実習用通学定期」は、フリースクール等に通うために、通学定期と同じ割引率の定期券が買える制度です。
>>> 参考:文部科学省通知
「登校拒否児童生徒が学校外の公的機関等に通所する場合の通学定期乗車券制度の適用について」
「高等学校における不登校生徒が学校外の公的機関や民間施設において相談・指導を受けている場合の対応について」
オルタナティブスクールを選んだ我が家の場合
AI-amメンバー・星山まりんは、公の学校には通わず、オルタナティブスクール のひとつ、 デモクラティック(サドベリー)スクール を選びました。
我が家では、出席認定はあえて求めませんでした。
「不登校」ではないこと。復帰を前提としていないこと。
もっとはっきりといえば、出席扱いに してあげる 制度は必要としなかったし、公の学校以外で学び育つ子どもの権利を奪われたくはなかったからです。
けれども通学定期は家計上、お願いしました。
これがたいへんでした!
出席認定はいらないけれど、通学定期は欲しい!?
「出席認定はいらない、通学定期はほしい」には前例がなく、自分のクビを守りたい校長先生もヘタなことはできません。
校長としてもどうしていいのやら、で、わたしたちは教育委員会へ行きました。
「学校には行かない、勉強もしてない。ではデモクラティックスクール(サドベリースクール)では、何をしてるんですか?」
教育委員会の方にこう聞かれたので、わたしは次のように答えました。
「好きなこと、やりたいことをしています」。
デモクラティックスクール(サドベリースクール)での過ごし方を教科に置き換えてみると
たとえばとある月曜日。
スクールに来る途中で買った『週刊少年ジャンプ』を、スクールに着くなり読んでいると、間もなくしてRちゃんも登校してきました。
「おみやげでもらったお菓子をもってきたから、みんなで食べよー!」。そう言って人数分に分け合っています。
朝のミーティングが始まるまで、CDプレーヤーで音楽をかけたり、パソコンを使って絵を描いたり、文を書いたり。K君が観ていた顕微鏡をのぞかせてもらって、葉っぱを観たり。
ミーティング後、みんなでモノポリー(ボードゲーム)をしていたら、雪が! 大喜びで外に出て、「手のひらにどれだけ雪をのせれるか遊び」がはじまりました。
とりとめのない、なんでもないような、ひとコマです。
でもこの日常を、教科に置き換えて観れば、下↓のようになります。
デモクラティックスクール・フリープレイスなわてでは、決まったカリキュラムがなく、自分の学ぶことは自分で決めて取り組みます。
星山海琳さんは、国語は漢字や読書、詩作り、作文に意欲的に取り組んでいます。算数は足し算・引き算の筆算や、分数について学んでいます。そろばんにも熱心に取り組みました。
理科の観察・実験で、顕微鏡を使っていろいろなものを観察することや、氷と塩で冷凍庫を作る実験などをしました。公園の植物や虫の観察・採集も好んでしています。雪の結晶の観察もしました。
社会はおもに地理を学んでいます。身近なところの歴史にも興味を持っています。
最近では、ローマ字に熱心に取り組んでいます。その他、美術、技術、家庭科、音楽も好きです。パソコンの使い方も学んでいます。
スポーツも、卓球、バスケットボール、バドミントン、野球、ランニング、鉄棒、水泳、などいろいろな種類のものをよくしています。
総合的・体験的な学びとして、畑仕事を通して野菜の実りや、土の中の生きものについて学びました。また、近くの公園のビオトープづくりは3月に始まってからずっと参加しています。
公園維持やビオトープをつくるということを体を使って学んでいると同時に、子どもからお年寄りまで集まってする地域のボランティア活動も兼ねています。地域活動としては、真如寺というお寺の盆踊りで屋台を出したり、四条畷の市民祭りで屋台をするなどして、積極的に地域に関わりを持ちながら活動しています。
フリープレイスなわては、デモクラティックスクールで、異年齢集団の中で問題を話し合って解決していきます。
星山海琳さんもミーティングに参加して、自分の意見を言ったり、人の話を聞いたりして、積極的に話し合いを進めていっています。また最近では、ミーティング時の書記を務めています。こうして、集団の中での責任も学んでいっているところです。
「遊び」と「勉強」(よっぴーの2005年の手記より)
親、教師に限らず多くのおとなは、「遊び」と「勉強」を区別します。その上、格付けまでします。
社会の通念に染まっていたころのわたしはそうでした。
「遊び」と「勉強」は別のもの、ととらえていたので、算数の勉強をしている子は、ゲームやカードに没頭して遊んでいる子よりも優れたことをしている、ともおもっていたのです。
頭のいい子、というのはどういう子どものことをいうのか、そこに疑問を持つまでは、学習指導要領に基準を置き、それによってはかられた成績で、わたしも人を(自分をも)評価していました。
テストの点数が高い◯◯さんは頭がいいとか、◯◯高校に行っている子は勉強ができるとか。
勉強は「する」ものであって、させるものではない(よっぴーの2005年の手記より)
「勉強」というと、机に着席し、おおむね学校で習う教科を学習する、と捉えられていますが、勉強とは、生すべてにつながっている「学び」です。
そして、その学びを衝き動かすものは、誰もが生まれもっている好奇心。
知ってみたい! やってみたい! と、内から湧き出る自遊です。だから、学ぶもの、学びたいもの、学びたいとき、学びたい方法は、個々ちがうのが自然なのです。
学力低下が叫ばれていますが、大人の側の「与えよう」、「身につけさせよう」とするものと、子どもが今「得たいもの」、「求めているもの」とにズレがあるだけです。
個性や個人差を無視した、小二の一学期には◯◯を、小三の二学期では△△、と要求されている「学習指導要領」に縛られていました。
不登校はレインボー
わたしの教育観を聞かれたからなのか、関わりたくない保護者だとおもわれたのか、そこんとこはわかりませんが(笑)、通学証明書(通学定期券購入申込書)をいただくことができました。
でも、次の年からはやめました。定期券は自分が行っている学校(デモクラティックスクール)から発行されるものだ! とおもったからです。
在籍校や教育委員会にお願いして、調査・検討されて、許可されて、「もらえる」? …… 好かん わだちができちゃう前に、ここちよいわだちを、つくっていきたくて。
不登校はレインボーです。
ゲームばっかりしてる…。漫画ばっかり読んでる…。としか観えていなかった白黒風景が、カラーになりますように!