不登校が絶対に治らない理由

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こんにちは。

AI-am(アイアム)
星山 海琳 です。

 

よく「不登校はこうすれば治る」「不登校を治す方法」…と表現されますが、不登校は治りません。

なぜなら、不登校は治すものではないし、異常な状態でもないからです。では、どうすれば不登校は解決するのか?

不登校は病気?

よく耳にする「不登校を治す」「不登校の治し方」といったフレーズ。

「治す」「治る」というと、どんなものをイメージするでしょうか? わたしは、病気とか、ケガなどが思い浮かびます。日常的なものなら、風邪を治すとか、腰痛が治らないとか。

 

病は、正常・平常ではない状態を指しますよね。しかも、そのせいで弊害があるものについて使います。

たとえば風邪には、鼻みずやくしゃみが出るとか、熱、咳が出る、などなどの困った症状があります。病は、治すべきもの。それらの症状がない状態へ戻すことを目指します。

 

そうでなければ、ただの変化にすぎません。

たとえば体重は日々増えたり減ったりするものですが、これは病気ではなく変動です。でも痩せすぎたり、太りすぎたりすると、体に弊害が起こってきて、病気になってしまう。

「不登校」を責めるのは無駄

「不登校」は、絶対に治りません

不登校」は治すものじゃないし、異常な状態でもない からです。

だから、治す方法も、正す方法もありません。もちろん、なんらかの病気が原因で学校に行けないというケースは多々ありますが、それは「不登校」が病気だということにはなりませんよね。

 

本人や家族が不登校をはじめると、家庭内にはしばしば、「責める」という行為が発生します。

なにか/誰かに責任を負ってもらいたい、責めていたい、と思うのは、その事柄を嫌悪しているからです。失敗だと感じるから、マイナスなことだと感じるから。

 

そうして、夫婦間で相手を責めたり、学校や先生を責めたり、なんなら本人に責任を追及したりもします。本人もまた、まわりの誰かや、自分を責めたりする。

これは悪循環です。責めて解決するわけはないし、学校に行けないことは失敗じゃない。

それに、失敗であるかどうかは、そもそも関係がありません

不登校を解決する方法

たとえば、「学校には行きたい。でも、通学路にあるお家の犬にいつも吠えられて怖いから、行きたくない」という悩みを解決するなら、いろんな方法を考えつくかもしれません。

道を変える、その家の人に相談する、耳栓をして通る、いっそ犬と仲良くなる、etc…。

なにかを解決したいなら、どうすれば解決できるのか? を考えなくてはいけません。決して、責めるのではなく(「なぜ犬が怖いのか」と責めたって、意味がないですよね)。

 

「不登校」は、まったく問題じゃない。

「不登校」という状態そのものには、なんの問題もありません。

「不登校」が問題になるのは、「不登校」を問題にしたときです。

 

この問題を解決するベストな方法は、なにがなんでも学校に通うことではなく、「不登校は問題じゃない」と思う自分になることです。じゃあ、どうしたら問題じゃないと思えるんでしょうか?

なにが問題になっているのか考える

「不登校」のなにが問題だと思っているか、自分がどんなことにこだわっているのか、一度よく考えてみてください。

  • 勉強をしなくなる、できなくなる
  • 立派な学歴がつかない
  • とりあえず高校、または大学までは出てほしい
  • 就職ができなくなる
  • 引きこもりやニートになってしまう
  • 友達がいなくなる
  • 世間体が悪い

 

などなど、ひとによって、ほかにもたくさんあると思います。

そして次に、「ほんとに勉強をしなくなるのかな?」とか、あるいは「どうして勉強が必要だと思うんだろう?」とか、

「就職って、ほんとにできないのかな?」などなど、イメージや現在の知識にとらわれず、とにかく考えてみたり、かたっぱしから情報を調べてみましょう。

 

すると、案外、そのどれもが問題ではなくなってしまったりします。実際は大丈夫だよ、りっぱな大人になれるよ、という安心材料を見つけてしまったりする。

でも、それですぐに納得できるひとは少ないかもしれません。「そうは言うけど」と、やっぱり納得しきれないものがある。

不登校はギフト

最終的な答えはひとそれぞれですが、そういう自問を何度も繰りかえしたのちに、問題の根本は固定概念だ、という答えに行き着くことがほとんどです。

わたしたちがこれまで出会ってきた方々、お話をしたりご相談を受けたり、デモクラティックスクール(サドベリースクール)に通っている当時に見かけたりしてきた方たちは、ほとんどそうでした。

「学校は行かなくちゃいけないところ」という固定概念、常識。それらが「問題」や「失敗」を作り出している。

 

そうなったとき、もう「不登校」は、それほどの問題ではありません。はじめから問題は、固定概念や常識にしばられていること、だったからです。

学校に行く・行かないは、その上で選べばいいこと。選ぶために具体的な問題(弊害になること)があるなら、それについて正確にアプローチしていく。

むしろ不登校は、自分に気づきを与えてくれる、そのきっかけです。

 

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