こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
主体性を持ち、自主性のある子どもに育ってほしいと望むのなら、ここからはじめませんか?
会話を深めることによって観えてくるのは、相手よりもむしろ「自分」という人間の姿。
どうして欲しかったのか、親は知らない
子どものころ、どうしても買ってほしいものがあって、母に駄々をこねたことがあります。
「みんな持ってんねんもん! わたしもほしい! どうしてもどうしても欲しい!!」と。
かえってきた言葉は「ヨソはヨソ。ウチはウチ。贅沢いうもんやない!」。
説教とともに母はわたしに言いきかせた。
一方で、「ちょっとは○○ちゃんを見習いなさい!」と言って、母はわたしに言いきかせる。
内心で矛盾をかんじたのは言うまでもありません。
○○ちゃんを見習えだなんて、「ヨソはヨソ。ウチはウチ。贅沢いうもんやないで、お母ちゃんも」と。
身につけさせられたものは想像力ではなく鈍感力
こうして日常のなかで積み重なった、触れられることすらなかった感情や欲求は、闇に葬られていきます。
かなしみを与えたことに気づかないでいる親は、当然ながら子どもが受けたかなしみにも気づきません。
子どもを知れるせっかくのチャンスを逃したことも、
おいては、自分を知れる学びとよろこびをもらい損ねたことも、
闇に葬った罪の深さにも気づきはしません。
数年後、反抗という形で子どもが自己の存在を表してもです。
まるで なまえのないかいぶつ 。
他者不在の 「我々」の世界 ですむオトナが「思春期」で片付けていく。
会話とはなにか
言動に焦点をあて、一方の価値観を押し付けているだけのこれらは「会話」ではありません。
まして「言いきかす」という行為は相手を否定し、殺し、なまえのないかいぶつにしていきます。
会話は、他者の考えを知り、それを自分の考えと総合することができるもの。
また、新しい考えに接することで、自分がもつ価値を疑い、考えを確かめ、より道理の通った強力なものにもしてくれます。
会話を深めることによって観えてくるのは、相手よりもむしろ「自分」という人間の姿。
自分の考えや望むことがはっきりみえてくると、みんながこうするから自分もそうしなければならない… というような「ねばならない」基準では動かなくなります。
周囲の枠はちゃんと認識したうえで、自分の思想や感じたことを基準に行動していく自信が生まれます。
闇に喰われる人間の造り方
こうやって子どもは(人は)「会話」を通して大いに自信が育つのだから、話すことによって考えを交換できる環境 (違いを認めあえる環境)で、子ども時代を過ごしてほしい。
会話(&遊び)を制限することは成長を妨害します。
きっと、だからなんだろうな、公の学校が私語を禁止するのは。
おしゃべり(会話)する時間を持たせないように仕組んでいるのは。
「このことを考えなさい」と指示された議題はあっても、自由な思考の流れはない。
そこにあるのは学習指導要領に添って導く答えであり、会話ではない。
主体性を持ち、自主性のある子どもが育ったら困るから。
目指す姿は主体性
抑圧された行き場のない感情が「自分が選んだ人生をよろこびと共に歩んで生きたい」と叫んでいます。
言いきかせるんじゃない。話を聴く。これはおとなの役割。
自分をもたない、いい子にして座ってるだけのぬいぐるみにしたくないんなら、ここからはじめませんか?
ちなみにわたしがどうしても欲しかったものは、↓↓ これ。ひみつのアッコちゃんのテクマクマヤコン。[amazonjs asin=”B00PZRNIDY” locale=”JP” title=”カプセル ひみつのアッコちゃん コンパクトコレクション レア含む全5種セット”]
この魔法があれば、自分はぬいぐるみから脱せると、こころからおもったのでした。
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でももう、いま持ちたいのは、魔法なんかじゃありません。
親がどんなふうに関われば、子どもは健全に育ち、親も子もハッピーでいられるか。安心した間柄でいられるか。
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