こんにちは。
AI-am(アイアム)の
星山 海琳 です。
この記事は、星山海琳の note からの転載です。
恵まれた時間、豊かな一日、幸福な瞬間の連なり
すっかり昼夜逆転していたわたしたちの生活は、ふたつ(あたらしいねこの名前)のおかげで半強制的に「夜は電気を消して眠る」ものになった。吾輩がいずれふたつに慣れ、ふたつがケージから出て生き、眠るようになったらこういうサイクルはまた、なし崩しになっていく。
でもまだこの子が自由に身動きをとれないうちは、夜はせめてきちんと暗くして、静かにして、この子が眠れるようにわたしたちも眠ることにした。起きているあいだは、ふたつの声に必ず返事をしたけど、夜のうちはすぐに返事をせずに、様子を見るようにした。夜中たまに鳴くふたつは、一分もしないうちにまた眠りにつく。
あきちゃんは、心に対して心で触れられるひとなんだろう。夜、電気を消してしばらくして、ふたつがひどく鳴き続けるので目を覚ます。彼女は寝床を出て、ふたつにやさしい声をかける。愛情を波形にしたらきっとあんな声がする。
彼女には、待つべき声と待っていてはいけない声が、ちゃんと聴こえるのだった。くやしさとかなしさの違いが、さみしさとたいくつの違いが、甘えと語りの違いが、嫌悪とわからないの違いが、ちゃんと聴こえるのだった。ルールも方法論も飛び越えて、手のひらをあの子が求めたとおりの形に変えて、あの子のさみしい心ごと抱く。
生まれてからずっと、わたしはその手に触れられてきたのだと、そうやって育ち、育てられてきたのだと思うとき、その恵まれた時間、豊かな一日、幸福な瞬間の連なりがわたしのなかで生きていることに気づく。
二十年以上を経た今のこの時間さえもが、その幸福に守られているのだとわかる。家庭を変え、街を変え、国を変え、世界を変えていくのは、この時間であり手であり声であり、まなざしであり返事であることが、真実として迫って、わたしの背中を包む。
わたしは自分のなかに育まれた豊かさを守りたいと思い、それはどんな生きかたをしてでも、立派ではなくても、ずるくてもいいというこんな夜の自信が、明日も昼の日差しにさらされるわたしを支えていく。
三十分か、四十分くらい、ふたつは彼女の腕に抱かれてくったりと眠ってしまった。一緒になって居眠っていたあきちゃんがふいに目を覚まして、あの子をケージへ連れていく。夜どおしの安心を祈る。明日はまた朝が来る。
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