こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
「(不登校をしている子どもがいるから)自分の時間がない。自分の時間がほしい。どうしたらいいですか?」は、正確には、
「時々は一人になりたい! 子ども(子育て)から逃げたいとき・離れたいときはどうしたらいいですか?」なのではないでしょうか?
けれども、子ども(子育て)から逃げることはイケナイことだと思ってしまうから、
自分は、そんなイケナイことをする人間ではない……と、子ども(子育て)から逃げる自分に罪悪感をおぼえたくなくて、無意識的に、時間のせいにする。
子ども(子育て)から逃げることはイケナイことじゃない よ。
【 前編はこちら 】↓↓
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やりたいこと
この記事の前編( >>>「子育てしているから時間がない、時間が欲しい」と言っている人はやりたいことがないだけ )では、
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時間がないのは、やりたいことがないとき。やりたいことがあれば、時間はある。
「時間がほしい」というのは、「ほんのちょっと子育てから逃げたい」ってことなのではないか?
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…といったことを書きました。
この場合、やりたいことは、
ときどきは一人になりたい! 子ども(子育て)から逃げたい・離れたい です。
これをやりたいんだから、これを可能にする方法を考えればいい。(時間のつくりかたの記事は別で書きます)
>> 関連記事
子育て中の自分の時間の作り方・使い方-前編
「自分の時間がない」子育て中の自分の時間の作り方・使い方-後編
そのためにも紐解かないといけないのは、イケナイと思うこと・思いこんでいることからの解放です。
イケナイこと
福島県でのトークライブ の打ち上げで、スタッフのみなさんとおしゃべりをしていて、驚いたことがありました。
それは、
- 結婚したから
- お母さんになったから
の理由で、やりたいこと、やってみたいと思うことを、「イケナイこと」だと思って禁止していた、と話してくださったこと。
(子どもが生まれて出来なくなることはもちろんあったけれど、以下のようなことは、子どもがいるから(親になったから)してはイケナイこと だと捉えたことがなかったわたしは、心底驚きました)
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- お酒を飲む
- 夜に家をあける
- 子どもが寝てから外出する
- 夜更かしする、朝までおしゃべりする
- 好きな服を着る
- お母さんらしくない格好をする
- 髪の毛を、してみたい色に染める
- 派手な髪型にする
- 自分の好きな時間をもつ
- 休日に、子どもの好きなところに連れていかずに家でうだうだする
- たまにはカップラーメン(インスタント等)を食事にする
- たまには栄養を考えない、食べたいものや手抜き料理を食事にする
- お皿を洗わずに寝る
- 疲れたから今日は部屋のそうじをしない
- 好き嫌いをする
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ほかにもまだまだ、多くのお母さんにとってイケナイ(と思っている)ことはあるだろうけれど、これってほんと、学校教育の成功を物語っている、とおもいます。
価値観を植えつけられた親に育ったわたしたち。今度はそのわたしたちが親になり、子どもの感性や選択肢を狭めていく…。自分が子どもだったとき親にされてイヤだったことを、自分の子どもにしていく…。
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まりんさんが「学校に通わなかったことでよかったこと10」(プロフィールの中程)で書いている、「制服を着ずに毎日過ごせる」や、「とにかく好きなことができる」にみるように、
感受性が豊かな時期に、個々人の感性や思考が奪われ、理不尽な理由で「イケナイ」こととして植えつけられていくのは、あまりにもったいないことだと思うし、なにより危険極まりないです。
ましてや感性や個性が必要となるシンギュラリティ(人工知能が人間の知的能力を上回る段階)の時代がくると予測されているのに、です。
善いことも、悪いことも。
好き嫌いの基準がすべての人に共通ではないように、善悪の基準もすべての人に共通ではないじゃないですか。
だったら、あたりまえとされていることを問い、規制を見直し、窮屈さがないか確認しながら、自由への渇望にこたえていけばいい。
関連記事 >>> 『「to do」と「not to do」』と『「あたりまえ」と「自己物語」』
今よりうんと若かった頃のわたしは、人というのは、善いこともするし、悪いこともする生きもの、と思っていました。
図にすると ↓↓ なかんじ。
けれどあるとき、「ああ、そうじゃないんだ」と、
人というのは、善いことをしながら、同時に、悪いことをしているんだ(悪いことをしているときも、同時に、善いことをしている)、ということに気づいたのでした。
抑圧からの解放(開放)
ポイントは「視座」なのかな。
女だから、、、
母だから、、、
ではなく、いち個人として、人間的な感受性を大切にして生きていこう、と思う。
「ねばならない」からの解放。
「自分らしくないことはしない」と掲げるとき、わたしたちはその疑問に辿りつきやすくなる のだから。