こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
AI-amが運営している「オンラインコミュニティ お母さんのじかん365」では、Facebookを利用してのおしゃべり(書き込み)のほか、Zoomでも、いろんなおしゃべりをしています。
新年度・新学期がはじまった前回のZoomでは、この時期ならではの話も出て、そのひとつに、「(不登校をしていて)学校から安否を求められた。どうしたら断われる? どうやって断ってきた? みなさんの学校はどんなですか?」といった内容のものがありました。
不登校あるあるのひとつ!
不登校をしていると、学校や先生によっては、児童生徒の安否確認を求められることがあるんですよね。
この日「お母さんのじかん365」のZoomに集まったメンバーみんなも、個々の経験や知識、こんな方法がいいんじゃない? といったアイデアや知恵を出し合いながら、問題解決に向けてのおしゃべりをしていました。
で、Zoomが終わると…。
Zoomが終わったあともよっぴーまりんの間で、Zoomで出たテーマや内容を掘り下げたおしゃべりが続くんですね。
今回のZoomでのテーマのひとつ、「学校から安否を求められたらどうすればよいか?」についても、そもそも安否を求められたくないという気持ちがあるんじゃないか? と、夜な夜な話しこんでいました。
これまでブログで、Zoomが終わったあとのよっぴーまりんふたりのおしゃべりの内容を書いたことはなかったのだけど、記事にすることで、だれかの、なにかの、参考になることもあるのかな? と思い、ふたりのおしゃべりのなかみを(かいつまんで)書いてみようかってなりました^^
ということで、
「(不登校をしていて)なぜ、学校からこどもの安否確認を求められたくないのか?」です。
※「学校からこどもの安否確認を求められ、断りたいときはどうすればよいのか?」にこたえる内容記事ではありません。
もくじ
学校から子どもの安否確認を求められたくない理由は「面倒くさい!」
なぜ、学校からこどもの安否確認を求められたくないのか?(以下、虐待などの問題がない家庭であることが前提です)
理由のひとつは、めんどくさい!
これに尽きるんじゃないでしょうか。
- 毎朝、欠席の電話をしなきゃいけない、とか
- 頻繁に家庭訪問がなされる、とか
- 週一回、放課後などに学校へ顔を見せに行かないといけない、とかとか
一条校(学校教育法第一条で定められた学校。みんなが知っている一般的な学校)ではなく、
シュタイナー学校、サマーヒル・スクール、フレネ教育、イエナ・プラン、サドベリースクール・デモクラティックスクール……。さまざまなオルタナティブ教育を実践する学校(オルタナティブスクール/一条校とは異なった独自の理念・方針による学校)に通っていたり、
フリースクール 等に行っていたり、
家や、家以外のあらゆる場 で過ごしていたりと、
学校の選択肢として、一条校に登校していないだけなのに、「こどもさんの安否確認が必要なので(または、お子さんのことが心配なので)、毎朝、かならず電話連絡をしてください」などの要求は、ホント、ただただめんどくさいです。
>>> 学校の選択肢? 合わせて読みたい↓↓↓
「子どもさん、元気?」
けれども、
- 毎朝、欠席の電話をしなきゃいけない
- 頻繁に家庭訪問がなされる
- 週一回、放課後などに学校へ顔を見せに行かないといけない
とかとかっていうのは、安否確認の方法、その行為・行動がめんどうなだけなんですよね。
たとえば、毎日のように会っているのに、毎回こんなこと↓を聞いてくるひとっているじゃないですか?
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2021/04/2433749.jpg” name=”通勤途中にあるお店の気っぷのいいひと” type=”l”]最近、どーでっか?[/voice]
や、
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2021/04/123449.jpg” name=”(自分はコンビニでバイトしているとして)毎朝コンビニに来る阪神ファンのひと” type=”l”]昨日も勝ったなあ〜。試合見てたか?[/voice]
や、
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2021/04/2502140.jpg” name=”3軒隣に住んでいる人のよいおばさん” type=”l”]こどもさん、元気〜?[/voice]
こういうのって、答えるのにめんどうなだけで(中にはめんどうと感じない人もいるぐらい)精神にまで負担はかからないと思うんですね。
3軒隣に住んでいる人のよいおばさんが、会うたびに「こどもさん、元気〜?」と聞いてくる。こころのなかで「ああ、またやぁ〜」などと思ったとしても、そう思うのはその瞬間だけで、数秒後にはもうこのおばさんのことなんて考えていないと思うのね。別のことを思ったり、考えたり、したり、していると思うんです。
ところが、仮に、
通勤途中、毎朝、こどもの担任と会い(すれ違う)、
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2021/04/2496244-scaled.jpg” name=”こどもの担任の先生” type=”l”]こどもさん、どうですか? 昨日も元気にしてましたか?[/voice]
となったら、どうだろう?
途端に精神に負担がかかるのだとしたら、それはどうしてなんだろう?
自分の内を観る
一条校に籍がありながら連続して欠席しているため、連絡が取れなければ安否確認が必要な現状のなか(後述)、
こどもが一条校に行かないことで、学校や担任から安否確認を求められ嫌な気分になるのは、めんどくさいからだけではなく、
安否確認のやり方がどんなものであれ、その行為自体に対する抵抗や拒否感、嫌悪感といったものが自分のなかにあるからじゃないでしょうか?
学校から求められたこどもの安否確認(の、めんどくさい方法)を、どうすれば断ることができるか?
どうすれば問題を解決できるか? を考えるには、「問題」となる原因はなにか? どこにあるのか? を考えていくわけじゃないですか。
で、原因を考えるためには、なにが問題なのか?
で、要となる、自分はどうしてそう思うのか? を考えていく。
想いを実現するために、どうして嫌なのか、どうしてめんどうだと思うのか。何事であれ、本質を見抜くために、まずは自分の内を観ることが必要なんですね。
勝手な憶測だけど、そこには、信じてもらえていないかなしみがあるんじゃないでしょうか。
信じてもらえていないかなしみ
じゃあ、どうして信じてもらえていないかなしみがあるのか? となると、信じてもらう・信じてもらっている(信じてもらった・信じてもらってきた)実感が、自分にとっての満タン量に対して足りていないのかもしれない、とおもうんです。
信じてもらえていないかなしみがあって、それが怒りに変身するうちは、自分自身に信頼をおくのは、なかなかにむずかしいです。
デモクラティックホームをしたいから「おうちください」と声にして、ご縁をもらった神奈川のおうち。
たとえば、この大家さんがもし、「火の確認をしに毎晩来ます」ってなったら、精神面ではイヤじゃないから(信じてもらえないかなしみは、こちらにはないから)、大家さんは安心する・かつわたしたちは煩わしくない、その方法を考えます。
で、相手が「ああ、このひとたちだったら安心だな。もう、毎晩確認しに来なくてもいいや」となるまで、お好きにどうぞっておもう。
幼いわが子を、なにかの事情があって、あまりよく知らないひとにあずけるとなったら、安否確認したくなると思うんですね。けど、実家や気心しれた友人にだったら、安否の確認はしない。
そこには「(相手を)知っている」かつ、「信頼している」があります。
安否を求められたくないその気持ちはどこから来たのか?
なぜ、安否確認を求められたくないか?
評価に足る人間じゃないことへの恐怖感があるんじゃないのかな、と、まりんさんとしゃべっていて、ここにたどりつきました。
そして、かなしみは自分をつよくしてくれる根だから、「『評価に足る人間じゃないことへの恐怖感がある』そんな自分がいるんだな」というのを知っていくのは大事だな、とおもったのでした。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2021/04/2496244-scaled.jpg” name=”こどもの担任の先生” type=”l”]こどもさん、どうですか? 昨日も元気にしてましたか?[/voice]
もし、途端に精神に負担がかかるのだとしたら、安否を求められたくないその気持ちは、どこから来たんでしょうね。
>>> 関連記事
不登校が苦しくない親の特徴は「知っていること」
児童生徒の安否が確認できない等の場合
以下、上で書いた「一条校に籍がありながら連続して欠席しているため、連絡が取れなければ安否確認が必要な現状」の補足です。
文部科学省が令和元年10月25日に、全国の都道府県教育委員会や一条校に通知した「不登校児童生徒への支援の在り方」を読むと、
「不登校児童生徒に対する効果的な支援の充実」について書かれてある項目の「家庭訪問を通じた児童生徒への積極的支援や家庭への適切な働き掛け」の5番目に、現状、次の一文が明記されています。
家庭訪問や電話連絡を繰り返しても児童生徒の安否が確認できない等の場合は,直ちに市町村又は児童相談所への通告を行うほか,警察等に情報提供を行うなど,適切な対処が必要であること
2015年(平成27年)2月、川崎市でおきた中1男子生徒殺害事件により、政府は同様の事件を防ぐため、連続して欠席し連絡が取れない、または学校外の集団との関わりの中で被害に遭うおそれがある児童生徒の安全の確保に向け、対策や組織体制を強化しました。
教育委員会としての取組による不登校連絡票の活用や、事件性が疑われる場合には直ちに警察に相談・通報する、児童虐待が疑われる場合には直ちに市町村・児童相談所等への相談・通告なども推進しました。
虐待等を受けているこどもたちがいるのは確かだから、学校が安否確認を要するのはもっともでしょう。
しかしながら「不登校児童生徒への支援の在り方」を読むと、いろんな箇所で突っ込みたくなります。
なかでも「不登校が生じないような学校づくり」とあるけれど、「不登校が生じないような学校づくり」なのではなく、一人ひとりのこどもにあった多様な教育を認め、「不登校」という現象が生じない学校教育制度を強く望みます。
「不登校」という現象は、制度に不備がある日本特有のものです。